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学業不振を命の問題として捉え直す

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生徒指導提要の自殺に関するデータを見ると、学業不振が小学生・中学生・高校生のいずれの段階でも自殺の原因として現れています。この事実を前にしたとき、日々の授業構造・学級の価値づけ・相談できる関係という「手前の手前の手前」に手を入れていく必要があります。自殺予防は危機が起きてから対応する話だけではなく、そうした思いや感情に導いてしまう環境を変える話として、日々の授業に染み込ませていくものです。

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学業不振が自殺要因に現れるという事実

生徒指導提要の第8章は、子どもの自殺を扱っています。全体としての自殺数は減少傾向にある一方、若い世代の自殺は増加傾向にあり、平成20年以降の小中高校生の自殺数は年間300人から500人の間で推移し、死亡率は一貫して上昇してきました。そして今なお、この数字は更新され続けています。

警察庁のデータをもとにした原因・動機別の統計を見ると、学校段階によって様相が異なります。小学生では家族関係の問題が上位に来ますが、中学校男子では第1位が学業不振です。高校生男子においても第1位が学業問題になります。家庭と学校を合わせると、自殺の原因の約半数を占める計算になります。

学業不振で命を絶ってしまう、というこの事実を、教師として真正面から受け止めることが求められています。

家庭の問題は、学校が踏み込めない領域も少なくありません。でも、もう半分は学校の問題です。半分には確実に手が届くはずなのに、届いていない。それが現状だということを、まず受け止めるところから始めたいと思います。

危機に対応するだけでは届かない

自殺防止のためのプロジェクトチームを立ち上げ、専門家が動く。そうした取り組みは緊急事態として必要であり、大切なことです。しかし、考えたいのは「その手前の手前の手前」です。

自殺を図ろうとするほどの危機的状況になってからなんとかしようとするのではなく、そういう思いや感情に導いてしまうような環境をどうにかしようという発想が必要です。後追いで処理し続けるだけでは、根本的な解決にはなりません。

「プロアクティブな指導」、すなわち発達支持的生徒指導という視点です。どこかでボタンが掛け違っているから、その先で深刻な事態が起きている。ならば、そのボタンの掛け違いを、日々の教室の中で修正していくことが本筋です。

また、「くだらない一斉授業で子どもたちにできないレッテルばかり貼っている結果がこれではないか」という言葉も、同じ文脈から出てきます。教育の中で行われている言葉がけや授業の構造が、子どもたちの自尊感情を傷つけ、自己肯定感・自己効力感を奪っていく。その積み重ねが、こういう数字として現れているということです。

子どもの主体性は折るものではない

子どもたちがまだみずみずしいエネルギーを持っているとき、その主体性が折れずに保存されてきた、と感じる瞬間があります。「ちゃんとしなさい」「真面目にしなさい」「そんなことをすれば笑われる」というメッセージが積み重なることで、そのエネルギーは削られていきます。

大事なのは「全部好き放題やらせよう」ということではもちろんありません。社会の中で、自分の才能や熱いパトスをどう出力することが、自分にとっても他者にとっても豊かになるのか、人生をかけて探究していく練習を学校でさせてあげたい。 そういう練習の場として、学校が機能しているかどうかが問われています。

自由進度学習のような考え方が「流行りものでどうせ戻るよ」と片付けられることがあります。しかし、この自殺の統計を前にして、そのような楽観はあり得ません。取り残す構造を変えようという試みは、いずれ元に戻るものとして傍観している場合ではないのです。

単線型の授業が生む孤独と無価値感

できるできない
できるできない

授業が一本の線として進んでいくとき、ついていけない子が生まれます。1時間目に遅れた子は、2時間目も3時間目も取り残されたまま授業が進みます。その子を誰が助けられるでしょうか。誰も助けられません。 先生も次の内容を追いかけ、他の子たちも同じです。

一日のうちの1時間目から5時間目まで、ずっと強い孤独の中に置かれ続ける。そういう状況が、毎日積み重なっていくとしたら、どうなるでしょうか。自殺に追い詰められるときの心理として「誰も自分のことなど考えていない」という感覚があります。授業の構造そのものが、すでにその感覚を毎日育ててしまっているとしたら、これは残酷な仕組みです。

無価値感も同様です。「社会的に認められない」「自分には価値がない」という感覚は、学業の文脈でも育まれます。単元が終わったあとにテストをして、できていなかった子に責任を押し付けるだけで終わるのでは、その子の中に「できない自分は価値がない」という感覚を植え付けていくことになります。

また、中学校や高校で突然学業不振に陥るケースの背景には、小学校での積み上げが機能していなかったことが多くあります。点数だけを表面的に整えて送り出した結果、何も本当には身についていない。中学年で抽象度が一気に高まる場面でつまずいたまま進んでしまうと、高学年・中学校・高校と、坂道を転がるように学業不振が深刻化していきます。

現在地から一歩進む学びへ

学びのコントローラー
学びのコントローラー

学業不振と自殺の関係を前にしたとき、大切なのは「点数を上げる」ことではありません。子どもたちが現在地から一歩進む、その歩みを応援するという視点です。

到達点に向けて全員を同じ線で引っ張るのではなく、今いる場所から次の一歩を考え、試し、振り返る。その学びを仕組みとして明確に支援するのが、けテぶれです。計画・テスト・分析・練習のサイクルを自分で回す力は、単線型の授業の対極にあります。

「困った時苦しい時に進んで援助を求めることができる」「自己肯定感を高め自己を受け入れることができる」「偏った認知を柔軟にすることができる」、こうした力の育ちを支える学習環境をつくること。それが、学びのコントローラーとしてのけテぶれが目指す姿です。学力を上げることを目的にしているように見えて、その実、子どもが自分の学びに向き合える力を育てることが中心にあります。

「違い」を価値として扱う、教室の仕組み

違いそのものが価値である、と言葉で語ることはできます。でも、教師がそう思っているだけでは子どもたちには届きません。多様性というものを、みんなが体感できる環境づくりと学習デザインとして実現することが必要です。

「この教室で誰が一番になれるか」というコンテストを毎週行う実践があります。自分が一番になれると思えるお題をポストに入れ、毎週引いてその週のコンテストを行う仕組みです。お絵かきが得意な子が一番になる回がある。特定の本の知識でマニアックに勝負する回がある。それまで教室の中で孤独を抱えていた子が、ある特技で圧倒的な腕前を見せ、教室が沸く。

こうした場を通じて、「下手でもいい、出てきてくれてよかった」「おかしなお題でも、あなたがいてくれたから笑えた」という感覚が、教室に広がっていきます。変なことをやってくれればやってくれるほど、あなたがあなたとしてここにいてくれてありがとう、という感覚に変わっていく。 下手な絵を出した子が場を盛り上げ、それで上手な子が際立ち、みんなが笑顔になる。その経験が「違っていることが価値なんだ」ということを、言葉ではなく体感として積み重ねていきます。

ただし、5年生まで「違っていることは恥ずかしいこと」「周りと違う奴は攻撃してもいい」という学習を積み重ねてきた子たちに、急に言葉だけで場の文化は変わりません。語りと同時に、体感できる仕組みが必要です。

この世界はどうとでも説明できる。教師がその教室という閉じた社会の中で、何を価値としてみんなでシェアするかを意識的に設計していくことが、教師の大切な仕事です。「自分が自分であるとき最も輝く」という言葉が子どもたちの実感として根付くためには、場の質をつくる具体的な仕組みが支えになります。

心の危機に気づく力を、1000時間で育てる

けテぶれシート
けテぶれシート

自殺予防教育として「心の危機に気づく力」「相談する力」を育てることが目標とされています。しかし、この目標を45分の授業一本で達成しようとする発想には無理があります。

年間1000時間ある授業時間のうちの45分で、「心マトリクスが大事だよ」と伝えても、3ヶ月後に何かが変わっているでしょうか。「やりました」で終わってしまいます。3ヶ月後の子どもたちの姿で語れなければ、それは「やった」とは言えません。

心の危機に気づく力は、日々の授業の中で繰り返し育てるものです。 心マトリクスで毎日自分の心を振り返る、生活けテぶれで自分の心と対話する、その積み重ねの中でこそ、この力は根付いていきます。そのような日々の授業があった上で、「君たちがやってきたことにはこういう意味と願いがある」と焦点的に語る授業をする。この順序であれば、その授業は確かに効果を持ちます。でも順序が逆では機能しません。

けテぶれシートを先生と日々やりとりすることで、先生へのSOSにもつながります。先生が毎日子どもの書いたものを読み、返事を書く。その継続の中で、「この先生には話せる」という関係性が生まれていきます。それが、助けを求めることができる環境の実体です。

算数の相談が、人生の相談になる

相談する力についても同様です。「算数の問題が分からない」と言える練習を毎日続けることが、人生の危機で「助けて」と言える力につながっていきます。

「できない、わからないということは、あなたが一人で解決すべき問題ではない。ちゃんと他者に頼れることは、ものすごく強い力なんだよ」ということを、毎日の授業の中で伝え続けること。「いつでも誰にでも、絶対に相談していいよ」という場をつくっているのは、そのための練習です。

算数の問題だったら言えるけれど、もっと深刻な問題では言えない。その差を縮めていくことが、毎日の教室に求められていることです。今算数で分からないと言えた経験が、やがて人生の危機的状況で助けを求める力の下地になっていく。そう考えるならば、算数の授業の中での一言が、命に関わる場面へとつながっているということになります。

語りと仕組みの両方で、日々の授業に染み込ませる

学業不振は、本人の努力不足の問題でも、成績だけの問題でも、まして家庭だけの問題でもありません。孤独・無価値感・心理的安全性の崩壊が積み重なった先に何が起きるか。その事実を前にして、授業の構造・学級の仕組み・価値の扱い方という領域で、教師には確実に変えられることがあります。

教師の語りは大切です。「あなたがあなたとしてここにいてくれてありがとう」という感覚を言葉にして届けることには意味があります。そして、その語りを体感として支える仕組みが、教室の日常に根を張っているとき、初めてその言葉は届きます。

生徒指導提要が示す「手前の手前の手前」に手を入れること。発達支持的生徒指導とは、危機が起きてから動くのではなく、そういう感情に至る前の環境を日々の授業でつくり続けることです。それが、今この統計を前に教師に求められていることではないかと思います。

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