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テストの点数を隠すより、価値を見える化する

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テストの点数は、子どもを序列化する危うさを持っています。しかし、だからといって点数を「見せてはいけないもの」「隠すべきもの」と扱うだけでは、点数はかえって危険で恥ずかしい情報になってしまいます。

大切なのは、点数を子どもの価値そのものにしないことです。点数は、今の現在地を知り、分析し、次の一歩を考えるための情報源です。そして、見えやすい価値だけに教室が支配されないように、努力や学習力、心の開放度のような見えにくい価値も見える化していくことが必要です。

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点数を隠すほど、点数は危険な情報になる

テストの点数をどう扱うかは、学級経営の中でもとても繊細なテーマです。点数によって子どもが傷つくことはあります。点数が子ども同士の序列になり、自己肯定感を下げる材料になることもあります。

しかし、そこで単純に「点数は人に見せるものではありません」「隠しましょう」とするだけで、本当に子どもは守られるのでしょうか。

子どもたちは、自分がどれくらいできているかをかなり分かっています。友達の様子も、何となく分かっています。授業中の反応、ノートの進み方、問題に向かう姿勢、発言の内容。学習の姿は日々見えています。結果の点数だけを隠しても、「できる・できない」が完全に見えなくなるわけではありません。

むしろ、隠せば隠すほど、点数はよりナイーブな情報になります。「これは人に知られてはいけないものなのだ」「悪い点を取ることは、とてもまずいことなのだ」という空気が強まってしまうからです。

点数を隠すだけの配慮は、子どもを守るどころか、点数をより危険で恥ずかしい情報にしてしまうことがあります。

もちろん、点数を無条件に公開すればよいという話ではありません。点数を公表して競わせることが目的ではありません。論点は、点数をタブー化せず、子ども自身が受け取れる情報にしていくことです。

点数は子どもの価値ではなく、現在地を知る情報である

テストの点数は、子どもの人間としての価値を表すものではありません。けれども、学習の現在地を示す情報としては、とても価値があります。

何点だったかだけを見て終わるのではなく、そこから何を考えるかが大切です。どこでつまずいたのか。何が分かっていて、何がまだ曖昧なのか。次に何をすればよいのか。そう考える材料として、点数は使えます。

ここで、けテぶれの考え方が生きてきます。テストの結果を受け取ったら、もう一度分析する。必要なら大分析をする。そして再チャレンジする。点数は、自己否定の材料ではなく、次の学びをつくるための材料です。

大分析の視点
大分析の視点

点数を「良かった」「悪かった」で終わらせると、子どもは点数に振り回されます。しかし、点数を現在地として扱うと、子どもは自分の学びを動かし始めます。

「ここはできている」 「ここはまだできていない」 「では、次は何をするか」

このように考えられる学習空間では、点数は怖いものではなくなります。点数は、自分が賢くなるための情報源になります。

現在地を認め合える教室のほうが、人権的である

点数を隠すことが、いつも人権的であるとは限りません。むしろ、子どもたちがそれぞれの現在地を認め合い、その上で協力できる空間のほうが、人権的だと言える場面があります。

できていないことを、存在してはいけないもののように扱う。低い点数を、触れてはいけないもののように扱う。そうすると、子どもは失敗を隠すようになります。分からないことを言えなくなります。助けを求めにくくなります。

本当に必要なのは、「今ここにいる」という現在地を、本人も周りも受け取れることです。

それは、誰かの点数をさらすことではありません。できない子を目立たせることでもありません。自分の結果に向き合い、周りの人の状態も必要以上に怖がらず、互いに学び合える空間をつくることです。

子どもを守る配慮は必要です。しかし、浅く隠すだけの配慮では、子どもは守られません。点数を受け取れる関係、失敗を言える空気、再チャレンジできる仕組みがあって、初めて点数は成長の材料になります。

「やっていないからできない」子もいる

もちろん、学習に本当に困難を抱えている子はいます。LD、ディスレクシア、発達障害など、専門的な支援や合理的配慮が必要な子がいることは前提です。そこを軽く見てはいけません。

一方で、すべての「できない」をその枠だけで捉えてしまうと、別の見落としが起こります。実際には、単純にまだ十分にやっていないからできていない、という子も多くいます。

その子たちに必要なのは、自分の現在地を見ることです。「今のままだと少しまずいな」と感じることです。そして、自分でやってみることです。その結果、1点でも10点でも変化が出る。その変化を受け取り、次もまた自分で頑張ってみようと思う。

このサイクルを経験できると、子どもは伸びます。学力としても、学習定着としても伸びます。

できるできない
できるできない

ここで大切なのは、「できない」を責めることではありません。「できない」を隠すことでもありません。今はできていない。でも、何をすれば少し進むのかを考えられる。そこに学びがあります。

間違いは成長の種です。失敗し、自分で努力し、努力した結果を受け取り、また次に進む。この経験をたくさん積ませてあげることが、小学校や学級という場の大きな役割です。

点数は大切。でも、人生を決める絶対指標ではない

テストの点数は大切です。義務教育で扱う内容には、身につけておいたほうがよいものがあります。漢字も、計算も、読解も、社会で生きる上で支えになる力です。

しかし同時に、点数は人生を決める絶対指標ではありません。漢字が少し苦手でも、補助ツールを使いながら生きていくことはできます。ある単元がどうしても苦手なら、距離を置く選択が必要な場面もあります。人の人生は、テストの点数だけでは決まりません。

この両面を持つことが大切です。

点数を大切にしすぎると、子どもは逃げたくなります。「この点数で人生が決まる」と感じれば、向き合うこと自体が苦しくなるからです。逆に、点数をどうでもいいものにしすぎると、子どもは流してしまいます。

ここに、ゆるアツの価値バランスがあります。大切にする。けれど、絶対視しない。真剣に受け取る。けれど、自分の存在価値とは切り離す。

世界はどうとでも説明できるからこそ、点数も一つの説明にすぎません。点数は、自分の人生を豊かにするための一つの指標です。そう位置づけることで、子どもは点数から逃げずに、しかし点数に飲み込まれずに、学びに向かうことができます。

見えやすい価値を隠すのではなく、見えにくい価値を見える化する

教室には、見えやすい価値があります。容姿、運動神経、学力。学校という場では、とくに学力は見えやすい価値です。テストの点数は、その象徴の一つです。

見えやすい価値をすべて隠そうとしても、うまくいきません。運動会で順位をつけないようにしても、走る速さの違いは子どもたちに見えます。容姿の違いを見えないことにはできません。学習の得意不得意も、日々の教室の中で見えています。

だから、見えやすい価値を隠す方向だけに進むと、かえって歪みます。見えているのに、見えていないことにする。分かっているのに、話題にしてはいけないことにする。そうなると、子どもはその価値により強く縛られてしまいます。

必要なのは、見えやすい価値を隠すことではなく、見えにくい価値も見える化することです。

努力を積み上げる力。自分で計画する力。間違いから学ぶ力。友達に説明する力。気持ちを開く力。挑戦する力。こうした価値が教室の中で見えるようになると、子どもたちは「頭がいい子だけが価値を持つ」という狭い見方から少しずつ自由になります。

学力だけでなく、学習力を見える化する

学力は見えやすい価値です。テストの点数に表れやすいからです。

しかし、学習力は見えにくい価値です。ここで言う学習力とは、単に頭がいいということではありません。学習努力を積み上げる力です。分からないところを見つけ、工夫し、粘り、次に生かしていく力です。

この学習力を見える化する方法の一つが、子どもの記述や取り組みに対する星のフィードバックです。点数だけを見ると、あまり伸びていないように見える子がいます。しかし、その子の分析の質、やり直しの丁寧さ、次に向かう姿勢を見ると、学習力が大きく伸びていることがあります。

学習力のABC+
学習力のABC+

星の数などで学習力にフィードバックを返すと、教室内の価値分布が変わります。

すぐに高得点を取れる子にも価値があります。たくさん努力して、一歩ずつ進んでいる子にも価値があります。どちらにも価値があるなら、どちらの価値も見えるようにしたいのです。

学力だけが見える教室では、努力の価値が埋もれます。けれど、学習力も見える教室では、子どもは自分のスタイルを見つけやすくなります。「自分はすぐにはできないけれど、分析して積み上げることはできる」「自分はこのやり方だと伸びる」と分かっていきます。

多様な価値が見えると、子どもは自分を見つけやすくなる

価値の見える化は、学習だけに限りません。教室には、さまざまな価値があります。

たとえば、少し変わったイベントやコンテストのような場面で、普段とは違う子が輝くことがあります。面白い発想を出す子。自分を開いて表現できる子。場を盛り上げる子。ふだん目立たないけれど、独特の感性を持っている子。

こうした価値が競争やイベントの中で見えるようになると、子どもたちは一つの物差しだけで自分を測らなくなります。

「勉強ができる」 「運動ができる」 「見た目がよい」

もし、このような見えやすい価値だけが教室を支配してしまうと、その価値を持てない子は、自分には価値がないと感じやすくなります。だからこそ、多様性が大切です。

多様な価値が見える教室では、子どもは自己像をつくり直していけます。自分は何が得意なのか。どんな場面で力を出せるのか。どんな価値を表現できるのか。そう考える材料が増えていきます。

それは、見えにくい価値を新しい序列にすることではありません。別のランキングを増やすことが目的ではありません。目的は、価値の種類を増やし、子どもが自分を見つけるための手がかりを増やすことです。

自分が自分であるとき最も輝く。その感覚に近づくためにも、教室には多様な価値が見えている必要があります。

点数から逃げず、点数に飲み込まれない

テストの点数を隠すだけでは、子どもは点数から自由になれません。むしろ、点数はより怖いものになります。

一方で、点数を絶対視してしまえば、子どもは点数に飲み込まれます。点数が自分の価値そのものになり、失敗が許されなくなります。

だから必要なのは、点数を現在地として受け取ることです。分析し、再チャレンジし、次の一歩につなげることです。そして同時に、点数以外の価値も教室の中で見えるようにすることです。

見えやすい価値を隠すのではなく、見えにくい価値も見える化する。学力だけでなく学習力を見る。結果だけでなく、努力の積み上げを見る。失敗を終わりにせず、間違いは成長の種として扱う。

そのような学習空間では、子どもは点数に向き合えます。そして、点数だけではない多様な価値の中で、自分の学び方、自分のスタイル、自分の価値を見つけていけます。

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