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「子どもには難しい」は思い込みか:自律的な学びの本当の入門

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「子どもに任せる学びは難しい」と言われることがあります。しかし、その前提を一度問い直してみると、見えてくることがあります。手元の教科書を読み、理解し、やってみて、できることとできないことを分ける。これこそが自律的な学びの入口であり、高度な応用ではありません。主体的に学びに向かう力はやる気や気合いだけでは育ちません。けテぶれやQNKSのような「学びに向かう型」という知識・技能を渡すことで、子どもははじめて落ち着いて分からなさと向き合えるようになります。

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「これが入門じゃない」という問い直し

子どもたちに自分で計画を立てて学習を進めさせていると、二つのことがよく頭をよぎります。一つは「大人ができるんだから子どもにもできるはず」。もう一つは「これが入門じゃない」という感覚です。

後者について、もう少し具体的に考えてみましょう。

子どもたちに任せる学びというのは、「難しい」「今の子どもには無理」とよく言われます。しかし、学習のプロセスとして冷静に考えてみると、本当にそうでしょうか。3年生向けに書かれた教科書が手元にある。まず読む。書いてある内容についてやってみる。やってみた結果、何ができて何ができないかを分ける。できない部分についてもう一度考えてみる。これは学ぶ上で非常に基本中の基本です。

教科書は先生向けには書かれていません。子ども向けです。習った漢字しか使われていないし、日本語で書かれています。だから読もうと思えば読めるはず。それでも実際に「読んでやってみなさい」とすると、子どもたちはほぼできません。読み飛ばす、書いてある内容を勘違いする、そもそも教科書を「自分の学習に使うもの」として捉えていない。

問題は能力そのものではなく、教科書を学習ツールとして使う意識や経験が積まれていないことにあります。教科書は先生が解説して、先生の指示通りに使うもの。そういう経験を繰り返してきた結果、子どもと教科書のあいだに大きな距離ができてしまっています。だとすれば、まずそこから始めることこそが「本当の入門」ではないでしょうか。

主体的に学びに向かう力を支えるのは「型」

「主体的に学びに向かう力」が大切だと言われます。学習指導要領の三観点の一つに位置づけられ、各学校で意識されています。しかし、教科書を自分で読むことすらできていない状態で、その力を評価したり、高めようとしたりすることに、どれほどの意味があるでしょうか。

自己調整学習の考え方では、「粘り強く学ぶ」と「学習を調節する」の二軸で力を見ます。しかし、粘り強く「何を」するのか。どうやって「調節」するのか。そのための技術がなければ、粘り強さも調節も発揮しようがありません。

主体的に学びに向かう力を下支えするのは、学びに向かう型という知識・技能です。気合いや態度だけではなく、「どうやって学ぶか」を知っていることが先に来ます。技術がないのに力は発揮できません。その技術を、意識的に渡して練習する。それが学習デザインとしての本筋です。

学びのコントローラー
学びのコントローラー

けテぶれとQNKSは、この「学びに向かう型」の中核をなします。やってみた結果を現在地として掴み、何ができて何ができないかを見分け、次の学びへ繋げていく。この基本的な往還の繰り返しが、子どもの学習力を育てていきます。型は押しつけではなく、子どもが自分で動くためのコントローラーです。

QNKSは思考が止まったときの階段

分からないとき、思考が止まってしまったとき、何をすればよいか。QNKSはその時のための足場です。

問いがあれば、それに対して情報を抜き出す。情報を組み立てる。自分の答えを整理する。この手順を一段ずつ上がっていくことで、思考が止まっていた場所から動き出せます。

答えがパッとわかるときは、この手順を意識しなくてかまいません。頭の中で自然に思考が動いて、答えが出てくる。問題はそうでないときです。「分からない」「どう考えればいいか分からない」と止まってしまった瞬間に、QNKSを使って一段ずつ階段を上がっていけば、上れるようになります。考えることが止まった時に思考を進める一歩になる、というのが渡す意味です。

QNKS(基本)
QNKS(基本)

国語の授業を例にとると、文章をまず読み、文章構造図を作り、後ろの手引きと照らし合わせて、問いを一つずつクリアしていく。分からない語句は辞書で調べる。こうしたプロセスを型として渡し、練習を積んでいくと、一時間目からもう普通に読んで学びが始まるようになります。教科書一冊と辞書があれば、子どもたちは自分で学習を進められる。教科書レベルの学習が自動で動き始める段階です。

大人の教材研究は、子どもにも渡せる

ここで一つ問いを立ててみましょう。私たち教師が教材研究をするとき、どうやっているでしょうか。

文章を読む。手引きを読む。手引きの問いを一つ一つ考えながら教材を深めていく。小学校の教科書を初めて手にしたとしても、読んで、手引きを見て、問いをノートに書いていく。特別なことではなく、大人なら自然にできることです。

大人にできることは、子どもにも渡せます。「今の子どもには難しい」と線を引いているのは、多くの場合、根拠のある判断ではなく、経験させていないことによる先入観です。自律的に学ぶ子どもたちの姿が注目を集めるとき、驚くべきはその能力の高さではなく、そこにかけた熱量の多さです。熱量は、技術が伴うことで高まります。技術を渡し、練習できる環境があれば、子どもたちは大人と同じプロセスで学べます。

ただし、これは「向き不向きがない」という話ではありません。熱量と適性が重なったとき、大きなアウトプットが生まれます。大切なのは、可能性に上限を設けないことです。誰がどこで恣意的に線を引いているのか、問い直す価値があります。

コントローラーが渡ると何が変わるか

学び方のコントローラーを渡していくと、教室の様子が変わっていきます。

分からない・できない・難しい。子どもたちにとって、これらは長らく「怖いもの」でした。なぜか。先生が舵取りをする授業では、分からないことは危機です。自分でなんとかする手段もなく、そういう状況であれば、分からないことが怖いのは当然です。

ところが、コントローラーが渡った学習空間では、状況が変わります。「次の単元むずいよ、注意してね」と子どもたちが自然に声をかけ合う。難しい箇所があれば「苦手だから一旦飛ばして、分かるところを先にやってから戻ろう」と対処する。できない・分からない・難しいに対する構えが、根本から変わってくるのです。

分からなさや難しさを豊かに、頼もしく受け取れるようになる。これがコントローラーを渡すことの価値です。学習材をシュレッダーのようにガーッと飲み込みながら、自分たちで噛み砕いて解釈していく。そういう頼もしさが出てくる段階があります。自律した学習者の姿は、「信じて、任せて、認める」という姿勢を持ち続けるなかで立ち現れていきます。

単線型の授業はその先にある

最後に、単線型の授業について触れておきましょう。

子どもたちが自分で読んで試すことができるようになると、その先に深い問いや思考の深まりを仕組む余地が生まれます。教師が専門的な視点を持ち込んで、思考の深まりを仕組む。単線型の授業はなくなるのではなく、子どもたちが自分でやってみた土台の先に、より有効に機能するものとして位置づけられます。

表面的な教科書の学びを自分で動かせる子どもたちに向けて、深い問いを投げかける。そのときはじめて、その問いが子どもたちの内側で本当に機能します。入口をしっかり育てることで、深い学びへの道筋が開けてくる。順序として、まず「読んで、やってみて、現在地を見る」という基本を積み上げることが先です。

型を渡され、コントローラーを持った子どもたちにそれが定着したとき、子どもたちは本当に楽しそうに学び始めます。そこから先は、教師との対話も、仲間との思考も、ずっと豊かになっていく。自律的な学びの本当の入門は、放任でもなく、特別に高度な実践でもなく、「読んで、やってみて、現在地をつかむ」というシンプルな出発点から始まります。

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