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学習指導要領「総則」から読む、これからの学びの設計図

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学習指導要領の「総則」は、各教科の前に置かれた「序論」ではなく、学校教育全体の基本設計を示す核心部分です。平成29年改訂から明記された「主体的・対話的で深い学び」に向けた授業改善は、1時間の授業デザインにとどまらず、教育課程全体の構造転換を求めています。生きる力、学習の基盤となる資質・能力、家庭との連携による学習習慣の確立、道徳教育の要としての位置づけ——これらを総則の言葉を起点に読み解き、けテぶれ・QNKSとの構造的な接続を整理します。

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総則は「前置き」ではない

学習指導要領の構成を確認しておきましょう。各教科の前に置かれているのが「総則」です。第1から第6まで——小学校教育の基本と教育課程の役割、教育課程の編成、実施と学習評価、児童の発達の支援、運営上の留意事項、道徳教育に関する配慮事項——という構成になっています。

総則は「各教科に入る前の前置き」ではありません。 学校の教育活動全体をどう設計するかという基本的な方向性が、ここに凝縮されています。「各教科に入る前にまず読む」ということではなく、「教育課程全体を通じてこれを実現せよ」という設計図として読む必要があります。

葛原実践がなぜ機能するのかを考えるとき、その根拠は個々の教科の指導案にあるのではなく、この総則レベルの要請と構造的に一致しているところにあります。まずはその接続点を確認していきましょう。

「学び方を学ぶ改善」が法的に求められている

総則第1の2番には、こんな文言が示されています。

> 各学校において、第3の1に示す主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を通して……児童に生きる力を育むことを目指すものとする。

注目したいのは「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を通して」という部分です。「生きる力を育む」という大目標に向かうための手段として、授業の在り方そのものの改善が求められているということを示しています。

この文言が法的拘束力を持つ学習指導要領に明記されたのは、平成29年改訂からのことです。 学び方を学ぶという方向への改善は、すでに法的な根拠をもって学校教育に求められている要請なのです。

「学び方を学ぶ」という概念が、1時間の授業内で単発の活動として実施することにとどまると理解されている現場を見ることがあります。しかし総則が求めているのは、そのような局所的な取り組みではありません。主体的・対話的で深い学びを実現するための教育課程全体の設計として、学び方を学ぶ改善を位置づけることが求められているのです。

研修イベントで10分間の「模擬授業」を見せることで「学び方を学ぶ」を体験した気になる——そのような矮小化が起きているとすれば、それは総則の要請と大きくずれています。求められているのは、学校の教育活動全体をこの方向へ設計し直すことです。

主体的・対話的で深い学び
主体的・対話的で深い学び

では「深い学び」とは何か。総則の言葉から丁寧に整理しておきましょう。

知識を暗記して一問一答に答えられるレベルにとどまることではありません。知識が概念化され、自分のスキーマやメンタルモデルと接続され、教室の外でも、家に帰ってからでも、学校を卒業した後の人生でも使える形になること——それが深い学びの定義です。

「算数の見方・考え方をゲットしたら、現実世界が算数の目で見えるようになる」という言い方がされることがあります。あの感覚こそが、深い学びが起きたときの状態です。教科書の問題を解けることではなく、その教科で育った見方・考え方が日常の世界にまで転移していくこと——それを学びの目標として設計することを、総則は求めているのです。

生きる力、そして人格の完成へ

総則が示す小学校教育の大目標は「生きる力を育む」ことです。ここには資質・能力の三つの柱が対応します。

1. 知識及び技能の確実な習得 2. 思考力・判断力・表現力の育成 3. 学びに向かう力・人間性の涵養

この三つは縦と横の関係で読む必要があります。横の関係として、知識・技能はインプットであり、思考・判断・表現はそれを活用するアウトプットとして捉えられます。縦の関係として、表面的な知識の習得にとどまらず、それが概念化され、見方・考え方としてメンタルモデルを更新するレベルまで深化することが求められています。

そして「生きる力」の先には、教育基本法第1条に示された「人格の完成」があります。小学校段階では「生きる力」を目標として掲げながら、その延長線上に人格の完成という公教育全体の根幹が見えています。この構造を視野に入れて授業設計をすることと、今日の1時間の目標だけを見て授業を組み立てることとでは、子どもたちに育てる力の射程がまったく異なってきます。

学習の基盤となる資質・能力——QNKSとけテぶれの根拠

資質・能力の三つの柱を育てるにあたって、そのプロセスで同時に養われなければならないものとして、総則は「学習の基盤となる資質・能力」を示しています。

  • 言語能力
  • 情報活用能力(情報モラルを含む)
  • 問題発見・解決能力

この三つを見たとき、教育実践との構造的な一致が見えてきます。言語活動の充実は言語能力に対応します。情報を整理し、問いを立て、知識と知識をつなぐ——その営みはQNKSそのものです。そして問題を発見し、仮説を立て、テストし、分析して次の練習へ向かうサイクルは、けテぶれそのものです。

学習の基盤となる資質・能力
学習の基盤となる資質・能力

重要なのは、これらが「葛原実践の理念」として一方的に主張されているのではなく、学習指導要領という法的拘束力を持つ文書が、教育課程の編成に際して全教科横断的に育てるべきものとして明示しているという点です。

総則第2の2番「教科等横断的な視点に立った資質・能力の育成」には、次のように書かれています。

> 児童の発達の段階を考慮し、言語能力、情報活用能力(情報モラルを含む。)、問題発見・解決能力等の学習の基盤となる資質・能力を育成していくことができるよう、各教科等の特質を生かしつつ、教科等横断的な視点から教育課程の編成を図るものとする。

どの教科を通じても、問題を発見して解決する力(けテぶれ)と、言語や情報を活用して思考を整理する力(QNKS)を養うことができます。それらを教科横断的に設計し直すことが、総則が示す教育課程編成の方向性なのです。

けテぶれ×QNKS
けテぶれ×QNKS

けテぶれとQNKSを「ある実践者のやり方」として局所的に捉えていると、この構造が見えにくくなります。これらは学習指導要領が求める資質・能力の育成ルートとして機能するものであり、教科を問わず汎用的に活用できる学び方のフレームワークです。そこに各教科の専門的な学習内容をのせることで、教科の目標と教科横断的な基盤資質・能力の育成を同時に達成できるという構造を持っています。

家庭学習の問いを立て直す

総則の2番1番には、次の文言があります。

> 家庭との連携を図りながら、児童の学習習慣が確立するように配慮すること。

これは、資質・能力の三つの柱を育てるための具体的な記述の中に含まれています。つまり総則は、家庭との連携による学習習慣の確立を、生きる力を育む教育活動の一部として明示しているのです。

近年、「家庭学習をやめた」という実践が話題になることがあります。その判断自体を一方的に否定するわけではありませんが、問われるべき論点は「家庭学習をやめるかどうか」ではありません。 家庭との連携を通じて、どのように学習習慣を確立するか——その設計こそが総則の要請です。

「やめた」という実践において、「家庭との連携を通じて学習習慣をどう育てているか」という問いに答えられているなら、それは一つの実践として読むことができます。しかし「やめた」というところで終わり、家庭との連携による学習習慣の確立という課題が宙に浮いているとしたら、それは総則の問いに答えられていないことになります。

学習習慣とは、「毎日決まった時間に宿題をこなす」という行動習慣だけではありません。自分で課題を見つけ、計画を立て、振り返る——そのサイクルが日常の中に組み込まれていくことが、学習習慣の本質です。家庭学習をそのような方向で設計し直すことが、総則が求めていることだと読むことができます。

道徳は「扇の要」として設計する

総則第6には道徳教育についての記述があります。

> 道徳教育は、特別の教科である道徳を要として学校の教育活動全体を通じて行うものである。

「要(かなめ)」という言葉が示す構造を丁寧に読む必要があります。扇の要とは、扇子を開いた状態で保つ金具——一枚一枚の羽根を束ねる中心点のことです。道徳教育の「要」としての「特別の教科 道徳」は、この金具に相当します。

週1回の道徳の時間は、扇の「要」です。扇の「羽根」は、毎日の教育活動全体です。 金具だけがどれだけ精巧であっても、それがつなぎ止める羽根の設計がなければ、扇は扇として機能しません。道徳の授業で素敵な教材を一枚一枚丁寧に作ることに注力するあまり、それが何を束ねているのかという設計が見えなくなっているとすれば、それは要の役割を担えていないことになります。

道徳の授業実践として「今週はこの教材でこう展開した」という話は多く見聞きします。しかしそれは扇の羽根の一枚を磨いている作業です。その羽根が何を束ねているのか——学校生活全体を通じた道徳性の育成という扇全体の設計が問われなければなりません。

道徳教育の目標として総則に示されているのは、「自己の生き方を考え、主体的な判断のもとに行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養う」ことです。この目標の方向は、自分で計画を立て、テストし、分析し、次の練習へ向かう学習サイクルが育てようとする自律性・主体性・協働性と、根本的に一致しています。

学習の自律的なサイクルを日々の生活に定着させ、自分で考え、選択し、実行し、振り返る——そのグランドデザインを道徳教育の要と接続させていく設計が、総則が求めている道徳教育の姿です。各教科、総合的な学習の時間、特別活動、そして発達支持的な生徒指導——それぞれの特性に応じた指導が、道徳を要として扇全体を形成するとき、初めて学校の教育活動全体を通じた道徳教育になります。

教科の専門性を「外へ開く」

教科横断的な視点を育てることの強調は、教科の専門性を否定するものではありません。むしろ逆です。

算数で培った見方・考え方が、算数の問題を解くためだけに使われて終わるのではなく、日常の場面や他の教科でも発揮されること——それが学習の転移であり、生きる力への接続です。そのためには、算数の内容を深く理解していることが前提条件になります。

教科の専門性は、教科内に閉じるためにあるのではなく、教科の学びを「生きる力」まで開いていくためにある。 これが総則の問題意識です。

ある教科の知識に精通していることと、その知識を子どもたちの概念構造として深く育て、生活や将来に転移できる形にすることとは、別の問いです。前者だけで教科専門性を語るとすれば、それは子どもたちの生きる力に接続された専門性にはなっていません。

教材研究を深めること自体は、もちろん大切です。しかしその研究の目的が「正しく教えること」だけに向いているとき、概念化や見方・考え方の育成という視点が抜け落ちやすくなります。教科の学びが教科の中に閉じてしまっている状態——これが、PISAショック以降の学習指導要領が一貫して問い続けてきた課題です。

習得・活用・探究という段階の連続もここにつながっています。習得した知識を活用し、さらに探究へと向かう——このサイクルの中で、知識は単なる記憶から概念へ、概念からメンタルモデルへと深化し、最終的に生きる力へとつながっていきます。「算数で学んだ力もあなたの生きる力として転移していってほしい」という言葉は、まさにこの構造を指しています。

総則が描く教育の設計図

総則が示す構造を整理すると、次のような層として読むことができます。

  • 大目標:生きる力を育む(→人格の完成へ)
  • 三本柱:知識・技能 / 思考・判断・表現 / 学びに向かう力・人間性
  • 手段:主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善
  • 基盤:言語能力・情報活用能力・問題発見解決能力の教科横断的育成
  • 生活設計:家庭との連携による学習習慣の確立
  • :道徳教育を学校生活全体の束ねとして設計する

この層を上から下まで貫く一本の軸が「学び方を学ぶ」という方向性です。子どもたちが学び方を学び、それが教科を超えて転移し、家庭の生活にまで持ち帰られ、自分の生き方を考える力として結実する——総則が描いているのはそのような学校教育全体の設計図です。

けテぶれが問題発見・解決の力を育て、QNKSが言語・情報活用の力を育て、日々の学習サイクルが学習習慣の確立へとつながる。そして道徳と接続されたグランドデザインとして、生き方を考える自律的な学習者を育てていく。その構造が、総則の言葉と重なり合っているのは偶然ではありません。

総則を「制度的な文書」として棚に置くのをやめて、教育課程全体の羅針盤として手元に置き直すとき、日々の実践の意味が変わります。一時間の授業設計、家庭学習のあり方、道徳の時間の立て方——それぞれが、この大きな設計図の中にどう位置づくかを問いながら考えること。それが、これからの学校教育の設計者としての教師の仕事になっていきます。

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