小学校学習指導要領の「総則」は、各教科に入る前に小学校教育の全体設計を示す章です。そこには、授業改善の前提としてのSTFトライアングル、小学校教育の大目標としての「生きる力」、その具体として求められる深い学びとメンタルモデルの更新、そして学習の基盤となる資質能力(言語能力・情報活用能力・問題発見解決能力)が書かれています。QNKSとけテぶれは、この法的な要請に応える具体的な学び方として位置づけられます。家庭学習や道徳教育についても、単発のルール変更や教材研究にとどまらず、学校生活全体のグランドデザインとして設計する必要があることを、総則は一貫して示しています。
総則とは何か——教育課程の「前書き」ではなく「設計図」
学習指導要領の総則は、第1から第6までの章で構成されています。第1が「小学校教育の基本と教育課程の役割」、第2が「教育課程の編成」、第3が「教育課程の実施と学習評価」、第4が「児童の発達の支援」、第5が「学校運営上の留意事項」、第6が「道徳教育に関する配慮事項」です。
この総則を「各教科が始まる前の前置き」として読み飛ばすことは、大きな誤りです。総則の第1・第2には、授業のあり方や教育課程全体のデザインについての根本的な方針が書かれており、それ自体が法的拘束力を持つ指針として示されています。葛原実践とひも付けながら読むことで、なぜその実践が求められるのかの根拠が明確になります。
STFトライアングルは「前提」として書かれている
総則第1の2番には、次のような記述があります。「各学校において第3の1に示す(STFトライアングルの実現に向けた)授業改善を通して……児童に生きる力を育むことを目指すものとする」。
ここで注目したいのは、授業改善が「やった方がよいこと」ではなく、生きる力を育むための前提条件として書かれているという点です。平成29年に改訂された学習指導要領から、授業改善についての文言が法的拘束力のある学習指導要領に明示されるようになりました。昭和以来の一斉伝達型・詰め込み型の授業を変えないことは、この文言に照らして問いを孕む状況です。
授業改善は「1時間の授業技術」の問題に閉じません。それは教育課程全体の設計として捉えるべきであり、授業をどう工夫するかよりも先に、なぜその授業をそのようにデザインするのかという問いへの答えが必要です。10分・15分の模擬授業でよい実践を「見せる」という発想が主流である限り、この問いには答えられません。見映えのある1時間を提示することと、STFトライアングルを軸とした授業改善を教育課程全体で実現することは、まったく異なる営みです。

主体的・対話的で深い学びは、STFトライアングルとして総則上に位置づけられています。これは三要素の並列ではなく、「主体的・対話的な学び」という土台の上で「深い学び」が成立するという構造として読む必要があります。そして「深い学びとは何か」を問われたとき、すぐに答えられるだけの理解を持っておくことが、教育実践者には求められています。
生きる力という大目標——人格の完成まで続く縦糸
総則が掲げる小学校教育の大目標は「生きる力を育む」ことです。生きる力の内実として、次の3点が挙げられます。(1)基礎的・基本的な知識・技能の習得、(2)それを活用して課題を解決するための思考力・判断力・表現力、(3)主体的に学習に取り組む態度——これが学習指導要領の3観点です。
この「生きる力」は、教育基本法第1条の「人格の完成」へとつながる縦糸として読めます。小学校教育の場では「生きる力」という言葉が実践的な目標として機能し、その先に「人格の完成」という人の一生に渡る命題がつながっています。
知識・技能を習得させることは、生きる力の出発点にすぎません。そこにとどまらず、思考・判断・表現を伴い、学びへの主体的な態度を育てることまでを一体として設計することが、学習指導要領が求めていることです。1時間の授業で子どもたちが楽しく活動して終わることを「よい授業」と称することを重ねていくだけでは、この縦糸は張られません。
深い学びとは何か——概念化とメンタルモデルの更新
「深い学び」という言葉はよく使われますが、問われて即答できるかどうかは別の問題です。総則を読めば、その定義は論理的に導き出せます。
知識・技能と思考・判断・表現の関係には、横の関係と縦の関係があります。横の関係は「インプットとアウトプット」——知識を得て、それを使って問題を解決するという往還です。縦の関係は、表面的な知識習得にとどまらず、それが概念化し、スキーマやスクリプトと接続され、メンタルモデルを更新するという深化の軸です。
深い学びとは、この縦の軸が伴っている学びのことです。「教科書の問題を解ける」だけでは深い学びではありません。その学びが、学校を出た後の生活や人生にまで使える概念構造として子どもたちの中に染み込んでいるかどうか——それが問われています。算数で習ったことが算数の問題を解くためだけの知識にとどまり、日常生活には転用されないのであれば、それは学習の転移が起きていない状態です。深く概念化され、メンタルモデルが更新されるような学びを生み出すことが、「深い学びの実現」として総則に書かれていることの意味です。
学習の基盤となる資質能力——3つの能力の正体
総則の第2では、教育課程の編成において特に重要な観点として「教科横断的な視点に立った資質能力の育成」が挙げられています。そして「学習の基盤となる資質能力」として明示されているのが、次の3つです——言語能力、情報活用能力(情報モラルを含む)、問題発見解決能力。

これらは特定の教科に閉じた能力ではありません。各教科の学習を通じて、教科横断的に育成されるべき資質能力として位置づけられています。そして教育課程の編成にあたっては、この学習の基盤となる資質能力が各教科の実践の中で育まれるような手立てと活動を充実させることが求められていると、総則は述べています。つまり、各教科の目標構造(知識・技能、思考・判断・表現、学びに向かう力)を実現しながら、そのプロセスの中で言語能力・情報活用能力・問題発見解決能力を育むことができるような設計が必要だということです。
QNKSとけテぶれが応答すること
言語能力・情報活用能力・問題発見解決能力という3つの学習の基盤を担う実践として、QNKSとけテぶれを位置づけることができます。
言語活動の充実と情報活用能力は、QNKSが担います。問い(Q)を立て、抜き出し(N)で必要な情報を取り出し、組み立て(K)で関係づけ、整理(S)で表現へまとめるプロセスは、言語を使って思考し、情報を活用して表現することそのものです。問題発見解決能力は、けテぶれが担います。計画(け)・テスト(テ)・分析(ぶ)・練習(れ)のサイクルは、問題発見解決の学び方そのものです。

QNKSとけテぶれは「便利な実践ツール」として選択されているのではありません。学習指導要領が教育課程の編成にあたって求める学習の基盤となる資質能力を、具体的な学び方として実装しているものとして読めます。この構造的な根拠があるからこそ、「なぜこの実践をするのか」という問いに、法的な根拠をもって答えることができます。実践の「有効性」の話をする前に、まずこの位置づけを押さえることが、実践者としての基盤になります。
家庭学習——宿題廃止が問うべき本当の責任
宿題を廃止する動きが広がっています。しかし総則には、学習の基盤となる活動を充実させる記述のすぐ後に、こう書かれています。「家庭との連携を図りながら、児童の学習習慣が確立するように配慮すること」。
これは総則の第1・2番という、最初に位置する最重要事項の中の記述です。家庭との連携を通じて学習習慣を確立する責任は、学校にある——そのことが総則上に明記されています。
宿題をやめることが問題なのではありません。「宿題という形式では家庭との連携や学習習慣の確立が実現しないから、別の形に変える」という論拠があるならば、それは総則の要請に向き合った判断です。しかし廃止を発表するだけでは、家庭との連携と学習習慣の確立をどのように実現するのかという問いへの答えが伴っていません。廃止は手段であり、目的は学習習慣の確立と家庭との連携です。その目的に向けた設計と代替案が示されて初めて、総則の要請に応えたことになります。
道徳教育のグランドデザイン——扇の要としての構造
総則には、道徳教育についてこう書かれています。「道徳教育は、特別な教科である道徳を要として、学校の教育活動全体を通じて行うものである」。
「要」という言葉を文字通りに読むと、扇子の金具が浮かびます。扇を広げたとき、一枚一枚の羽根を束ねている金具が「要」です。道徳の時間は、学校生活という扇の一枚一枚の羽根を束ねる要として設計されています。
ここから導かれる問いは、「週1回の道徳の時間の教材をどう扱うか」ではなく、「毎日の授業・学校生活を通じた道徳教育という扇全体を、どう設計するか」です。道徳の授業1時間のための優れた教材を開発することは、金具1個を磨くことに相当します。それ自体は意味のある取り組みですが、その金具が何を束ねるのかが見えていなければ、グランドデザインとはなりません。
毎日の授業が散らかったままで、道徳の時間だけにネタを仕込んでも、子どもたちは「金具をもらったけれど、何に使うのか分からない」という状態に置かれます。子どもたちが自己の生き方を考え、主体的な判断をもとに行動し、他者とともによりよく生きるための基盤が育まれる——そのグランドデザインを示すことが、道徳教育に関わる実践者には求められています。この構造的な設計に応える実践として、生活けテぶれは位置づけられます。道徳の授業だけでなく、学校生活全体を通じて自己の生き方を問い続ける仕組みとして読むとき、その実践の意味は変わってきます。
教科を超えて——生きる力へ開かれた専門性
総則が一貫して問題にしていることの一つは、教科内に学びが閉じてしまうことへの危機感です。算数の学びが算数の問題を解くためだけの知識にとどまり、生活の中に転移されない——それは学習指導要領が求める深い学びとは言えません。
だからこそ、教科の専門性はむしろ尊重されます。しかしその専門性の目的が問われます。算数に詳しいことの意義は、算数の問題を正確に解くためだけではなく、算数的な見方・考え方を通じて、子どもたちが日常や将来を算数の概念で読み解けるようになることです。その転移が起きるかどうかを意識せずに教材研究をしても、教科の世界に閉じた知識を渡すことにしかなりません。
教科横断的な資質能力と生きる力への接続という目的意識を持った教科の専門性こそが、今の学習指導要領が求める教師の専門性です。算数で学んだ力が子どもたちの生きる力として転移していくよう、深い学びを生み出す授業をデザインし、教科の垣根を越えて学習の基盤となる資質能力が育まれていく教育課程全体を設計する——そのような視座から、総則のメッセージは書かれています。