コンテンツへスキップ
サポーターになる

深い学びの本当の深さとは何か――外向きの活用から、内向きの自己探求へ

Share

学習指導要領が示す「深い学び」は、知識や技能を教科の中に閉じず、未知の状況でも活用できる力として整理されている。しかし葛原は、そこで止まる学びをまだ「外向きの学び」だと見なす。知識を使うのは子ども自身であり、その主語である「自分」についての理解が伴わなければ、どれだけ活用力を鍛えても土台が揺らぐ。深い学びの本当の深さは、外への活用をさらに磨いた先ではなく、ベクトルを内側に向けた自己理解の領域に現れる。本記事では、学習指導要領の深い学びの整理から出発し、その先にある内外往還の構造を、QNKSによるメンタルモデル外化の実践例とともに考える。

🎧 この記事を聴く

「深い学び」が問うこと——教科の枠を越える

現行の学習指導要領は、「何を学ぶか」「どのように学ぶか」「何ができるようになるか」の三本柱を掲げ、子どもたちが生きる力を身につけることを最終的な目標に据えている。算数で学んだ内容が算数の教科書の中だけで完結してしまっては、生きる力にはつながらない。だからこそ、見方・考え方が大切にされ、「深い学び」という言葉が強調されているのだと葛原は整理する。

深い学びとは、教科の枠組みを超えて未知の状況でも活用できる学びのことだ。思考・判断・表現の観点からも、習っていない問題に対して考えられる力を育てることが求められている。学んだことが教科書の中に閉じず、外の世界へ開かれていくこと——それが深い学びの核心として、指導要領の大きな柱に書かれている。

ただ、見方・考え方をめぐる実践に一点気をつけたいことがある。コップの写真を見て「算数ではこう、図工ではこう」と各教科の見方の違いを示すような授業が広まっている。意図は分かるし、大きくは間違っていない。しかし、そういうことではないという感覚を大切にしたい。見方・考え方が重要なのは「コップをどう見るか」を学ばせるためではなく、教科書で学びを閉じるなという、もっと根本的なメッセージを体現するためだ。

主体的・対話的で深い学び
主体的・対話的で深い学び

そのプロセスを支えるのがSTFトライアングルであり、その中核にあるのがメンタルモデルの更新だと葛原は説明する。一つひとつの知識を孤立した引き出しとして渡すのではなく、それぞれの子どものメンタルモデル——今自分が認識している構造——の中に新たな認識を組み込んでいく。既習事項と未習事項をつなぎながら概念を整理整頓し、算数であれば算数の認識知識構造をスキーマとして丁寧に構築していく。その営みをQNKSが支える。

それでも「まだ浅い」——外向きのベクトルで止まっている

学習指導要領が示す深い学びは、確かに重要な到達点だ。ただ葛原は、そこで止まることを「まだ浅い」と見なす。

なぜか。活用できる知識技能、思考・判断・表現の力——これらは、自分の外側に対してよりよく振る舞えるかどうかを問うている。未知の状況にどう対応するか、教科の枠を超えてどう使えるか。意識のベクトルが外に向いている。

しかし、そういう活動をするのは誰か、という問いが生まれる。知識技能を持ち、思考・判断・表現をするのは、一人ひとりの子ども自身だ。その子ども、その「自分」について、どれだけ知っているか。

自分を見失った人が、知識技能や思考・判断・表現を発揮できるだろうか。

外側にばかりベクトルを向け続けたとき、肝心の主語が揺らぐ。自分についての内側の理解が土台にないまま、外への活用力だけを積み上げても、どこかで崩れる。これが葛原の言う「浅さ」の核心だ。

外向きと内向きは「延長線上」ではなく「ベクトルの転換」

では、内側の学びは、外への活用力の先にあるものとして描けばよいのか。

一旦立ち止まって考えるべき問いだ。外側へのベクトルと内側へのベクトルは、根本的に発想が異なる領域だと葛原は言う。「さらに深い」という構造で描くと、外側のベクトルの延長に内側がある、という誤解を生みかねない。

そうではなく、これはベクトルの転換だ。外側の世界にどう働きかけるかではなく、今自分は何を考えているか、自分の認識構造はどうなっているか——という内側への問いへの切り替えが起きるとき、深い学びの本当の深さが現れてくる。自分が存在している「自己の領域」が立ち現れ、学びに主語が宿る。

中核は周辺からしかリーチできない

ただし、いきなり内側だけを扱えばよいのかといえば、そうでもない。

リンゴの芯を例に考えてみよう。一番深いところ——種が入っている芯——に到達するには、外側の果肉から入っていくしかない。中核に直接飛び込むことはできない。学びも同じだ。中核は周辺からしかリーチすることができない

一問一答的なできる・できないから始まり、知識の生きて働く力を備えていく。その先に初めて、「そもそも自分は何がやりたいのか」という問いが立てられるようになる。できることがまだほとんどない段階では、何がやりたいかどうかも問題として浮かびにくい。

本当にやりたいことは、やった先にある。

この言葉を踏まえると、単元の最初に「何をしたいですか」と子どもに問いかける実践への見方が変わってくる。子どもが答えるとき、その言葉の中には「空気を読む」成分が少なくない。本当に自由に言っていいかどうかは、場の設計次第であり、即時の希望表明がそのまま本当のやりたさとは言い切れない。表面的なやりたさを聴取することと、本当にやりたいことを育てることは、別のことだ。

やってみる⇆考える(自分)
やってみる⇆考える(自分)

やりたさを育てるためには、まずやれることを増やすプロセスが先にある。できる・できないの経験を丁寧に積んだその先に、内側から立ち上がる問いを大切にする設計が求められる。指導者がこの深みの構造を描けているかどうかが、実践の質を決める。

QNKSが内側のメンタルモデルを外化する道具になる

こうした構造を体現する実践として、ある教師の授業デザインを紹介したい。

単元の入り口で、QNKSを使って「今自分が考えていること」を外に出すところから始める。たとえば「キュウリ」について学ぶ単元であれば、教科書を開く前に、今の時点でキュウリという概念に紐づく要素を抜き出し、組み立て、整理する。生活経験や感覚をちゃんと引き出して構造化し、そこに教科書の知識を当てはめて位置づけていくという順序だ。

そして単元を終えたあと、もう一度自分のキュウリについての認識を再アウトプットする。最初のアウトプットと最後のアウトプットを比べると、認識が変化しているのが目に見えてわかる。これがメンタルモデルの更新が「見える」デザインだ。

QNKSは通常、教科内容を問い・抜き出し・組み立て・整理するための道具として使われることが多い。しかしこのデザインでは、単元前の自分の認識そのものを外化する道具としてQNKSを機能させている。内側にあるメンタルモデルを、問いと構造化を通じて表に出す。そこに教科の知識が入ることで、学習前と学習後の認識の差が可視化される。

QNKS図(詳細)
QNKS図(詳細)

これは学習論上の王道だ。今の自分の認識構造がどうなっているかを捉え、そこに新たな知識や誤りの修正を組み込んでいく。スキーマとして概念を位置づけていく。現在地を知ることで、学びが自分の内側に根を張る。

学び方を学ぶには、自分を捉えていることが前提になる

学習論の観点からも、内側の学びの重要性は明確だ。

自分というものが捉えられていないと、学び方を学ぶことができない。

学び方を学ぶためには、今自分がどんな認識を持っているか、今どこにいるか、現在地を知っていることが必要だ。外側の世界に向けてより賢く振る舞う前に、その振る舞いをしている自分についての理解が土台になければならない。

指導要領が描く深い学び——教科を越えて活用できる力——は、確かに大切な目標だ。しかしそれだけで止まっていると、「活用できる」はずの子ども自身が揺らいでしまう。自分は今何を思っているのか、自分の今の認識構造はどうなっているのか。そうした内側への問いを豊かに持てているかどうかが、学びの質を決める。

外への活用力と内への自己理解は、どちらかが正しくどちらかが間違いということではない。しかし現状の多くの実践では、外向きのベクトルに比べて内向きのベクトルがあまりにも薄い。指導者が「深い学びの本当の深さ」の構造を描けているかどうか——そこが、目の前の子どもたちの学びが本物になるかどうかの分岐点になる。

この記事が参考になったらシェア

Share