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地域をハブに実践の熱を広げるけテぶれフェス構想

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三木を拠点に、近隣地域の実践者を巻き込みながら、ポスター発表・相談・交流を組み合わせたけテぶれフェスを構想する対話を記録しています。単発の大規模イベントを目指すのではなく、顔の見える地域で月例の場を積み重ね、初学者と熱い実践者が出会い、2学期から一歩踏み出せる場を設計することが核心にあります。また、子どもに求めるけテぶれのサイクルと、教師や学校が改善を重ねるサイクルがまったく同じ構造であることも、この会話の中で明確に言語化されています。

「願いの密度」から始まる問い

「願いの密度が薄いから使い方がわからない」という言葉から、この会話は始まります。

自分がこうしたい、子どもにこうなってほしいという願いの輪郭がはっきりしていれば、道具は自然と使いこなせます。しかし願いがぼんやりしたままでは、どんなに優れた方法も手がつきません。けテぶれも、QNKSも、道具である以前に「願いを持って動く」ことを前提にしています。

実践を広げるとは、道具を配ることではなく、願いに火をつけることです。 この前提が、以下で語られるフェスの設計思想全体を貫いています。

けテぶれフェスとは何か

構想の中心は、半日〜1日をかけた実践交流の場です。

ポスターセッション形式で、参加者がさまざまな実践事例を歩き回りながら見て、気になる発表者のところで話を聞いたり、直接相談したりします。「1年生でも、2学期からならここから始められる」という手応えを、初学者が具体的に持ち帰れることを目指しています。すでに実践している教師には「同じ地域にこんな人がいたのか」という発見と刺激が生まれます。

重要なのは、これが「全国から人を集める大型イベント」を目指すものではないという点です。かつて別の地域で全国向けに開いたところ、広げすぎてスカスカになった経験があります。「オンラインだと顔が見えないし、薄くなって終わった」という振り返りがあり、その教訓から、今回は地域に絞り、顔の見える距離で開くという構造を選んでいます。

発表者は「育てる」もの

フェスを盛り上げるうえで最初に問題になるのが、発表者の確保です。

「何もなしで募集しても、ほとんど出てこない」という現実認識があります。実践を人前で発表するには準備が必要であり、見知らぬ聴衆の前に立つ心理的ハードルもあります。単発の募集をかけるだけでは、発表者は育ちません。

だから、フェスに向けて発表者を育てる仕組みを先につくる必要があります。その鍵が月例の場です。月に一度、同じ顔ぶれが集まって実践を語り合う機会を先につくり、顔なじみになった人たちに対して「フェスで発表しませんか」と背中を押します。信頼関係があって初めて「やってみます」が生まれます。

熱の広げ方
熱の広げ方

熱の広げ方の原則でいえば、これは「動く人を先に育て、その動きが周りに波及する」という構造です。発表者という「熱い核」を地道に育て、その熱がオーディエンスである初学者に伝わります。全国に一気に広げるより、まず地域の中で熱の核をつくることが先決だというのが、経験から導かれた設計です。

三木をハブにした地域展開

フェスの地理的スコープとして語られているのが「地区ぐらいの感じで、ここがハブになる」という考え方です。

三木の先生を中心軸に置きながら、隣接する神戸・加西・西脇などの地域から熱い実践者を呼び込みます。自治体単位には縛らず、近隣で来られる範囲を「ゆるく開いた地域」として設定し、顔が見えて通い続けられる距離感を保ちます。

ここでは自治体研修ならではの制約にも正直な目が向けられています。市の予算で開く研修は、建前として他市への案内が難しい場面があります。しかし実態として、「うちの先生のために来てほしい」という形で別市の教師に出張依頼文を出すことはできます。費用が変わらないなら、外から来た熱い実践者が地域の先生のやる気を後押しする場として機能させるほうが、研修の質は上がります。そうした論理で、昨年度は実際にこの形が通っています。

「地域の先生を受け身の聴衆にしない」という意識が一貫しています。 地域の先生を軸に、外からの刺激を注入する構造として設計するからこそ、地域のフェスとして成り立ちます。

余白が実践化を後押しする

1日開催を前提にしたうえで、詰め込みすぎないことが繰り返し強調されています。

「間30分とかで、お互い交流して」という場の設計です。ポスター発表者はそれぞれのコーナーにいて、参加者は聞きに行ってもいいし、席でノートを書いていてもいい。何も決められていない時間があることで、「参加者満足度がめちゃくちゃ上がる」という経験知があります。

いわゆる「ゆるアツ」の形——緩やかにつながりながら、それぞれが自分のペースで学ぶ場です。詰め込みの研修は頭がパンパンになって帰るだけになりやすく、「2学期にこれをやってみよう」という具体的な一歩が持ち帰りにくくなります。余白があるからこそ、実践者に直接相談できたり、ゼロから始める自分にも「これならできるかも」という入口が見えたりします。場の質は、タイムテーブルの密度ではなく、余白の設計によって決まります。

特別支援とけテぶれ:人的リソース不足の突破口

実践の文脈は、通常学級の話にとどまりません。インクルーシブ教育や特別支援学級、少人数対応の現場でも、けテぶれの可能性が語られています。

「結局、人のリソースが足らないっていう、結局そこになっちゃう」という言葉が象徴するように、支援の現場では教師1人が複数の子どもを同時に見ることが前提になっています。個別対応に限界がある中で、子ども自身が「けテぶれ学を自分で回せる」ようになることが、その限界を突破する鍵として位置づけられています。

計画・テスト・分析・練習のサイクルを子ども自身が動かせるようになれば、AIを使いながら一人で問題を解いていくことも可能になります。サポートが必要な場面は変わらないとしても、「学び方を自分で持っている子ども」はリソースの制約の中でも前に進める力を持てます。特別支援の文脈でのけテぶれの広がりは、「学びのコントローラーを子ども自身に渡す」という考え方が、あらゆる教室に通じることを示しています。

葛原AIという補助線

研究グループのメンバー向けに、葛原学習研究所のミッション体系を反映したAIツールのプロトタイプを試験的に使ってもらおうという構想も語られています。

「AIいったらね、何でも聞きやすいし」という一言がその位置づけをよく表しています。Voicyで話してきたこと、研修で語ってきたこと、実践事例のすべてが入ったAIであれば、経験者は「この場面でどう対応するか」を聞けますし、ゼロイチの教師は「どこから始めればいいか」を気軽に尋ねられます。人に直接質問するときのハードルが下がるだけでも、実践の入口は広がります。

ただし、これは地域展開と研修設計を支える補助線です。フェスの参加者が帰った後も実践を深めていく際に機能する道具として位置づけられており、記事の中心はあくまで「顔の見える地域で熱をつくる」設計にあります。

子どものけテぶれと教師の改善サイクルは同じ構造だ

この会話でもっとも核心に近い言葉が、次の一節です。

「学校にこれからやってよっていうことも、子供たちにやってよっていうことも、変わらないんだよって」

教育委員会が学校に求めている「データに基づいて分析し、手段を選び、改善し、検証して、また仮説を立てる」というサイクルは、けテぶれの構造そのものです。探究のサイクルとして語られることもありますが、それも言い方を変えているだけで同じ構造です。目的・目標・手段を持って、やってみて、振り返って、また動く——このサイクルは、子どもにも、教師にも、学校組織にも等しく求められています。

けテぶれが「分かりやすい形」として機能するのは、このサイクルを日々の授業の中で具体的に見せているからです。エビデンスも積み上がってきました。「何の根拠もないけど、信じてくれた何人かがいて、その何人かが結果を出して、それを見てまた誰かが動いた」という連鎖が、今や教育委員会レベルの信頼につながっています。

だからこそフェスは、「新しいことを売り込む場」ではありません。すでに動いている実践者の声を、地域の初学者に届ける場です。それぞれが「自分にもできる」という手応えを持ち帰り、2学期から一歩踏み出す——その出発点として設計されています。

続けられるデザインという問い

この実践全体を貫く問いとして、「続けられるデザイン」が語られます。

「本当に1年、そして6年間続きますか?」という問いに答えられない実践は、教育の場では成立しません。単発のイベントでも、一時の熱狂でもなく、月例の場を重ね、地域のネットワークを育て、発表者を継続的に生み出す仕組みを持って初めて「広がる」と言えます。

顔の見える地域から始めること、余白のある場をつくること、月例でつながり続けること——これらはすべて「長く続けられる熱の広げ方」の要素です。「信じて任せてもらえた」という経験が積み重なるとき、その連鎖は自走を始めます。けテぶれフェスはその連鎖の、最初の一節をつくる場として構想されています。

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