けテぶれの広がりに伴い、名前だけを借りた「丸投げ」的な導入が各地で生まれている。一方で、深く理解しながら実践を続けている先生方は、その工夫や悩みを孤立して抱えていることが多い。これからのフェーズで必要なのは、個々の実践をそれぞれに閉じたままにせず、実践者同士がつながり、現在地を認め合いながら互いに育ち合うことである。半歩先・隣の近い他者との対話こそが熱を広げ、次の一歩を生む。けテぶれの次の段階は「協働」である。
広がりの勢いと「丸投げ」という影
ここ最近、けテぶれが急速に広まっています。教育関係者でも何でもない友人たちから「自分の子のクラスでけテぶれが始まった」という連絡が届くほど、その浸透は本格的なものになってきました。
その一方で、広がりに伴って生まれてくるのが、名前だけを使った「丸投げ」的な実践です。「けテぶれノートでやってね」「はい、どうぞ」とだけ告げて、実際の指導も共有もほとんどない形で運用されている事例が、保護者の困惑という形で表れはじめています。「けテぶれって言われたけど、何なのかわからない」という声が保護者の側から上がることも出てきました。
ただし、この問題意識は、ここまで読んでくださっている方々に向けての注意喚起ではありません。学年集会で廊下を走るなと注意される場で、わざわざ立ち止まって聞いているのは廊下を走っていない生徒である——そのたとえ通りで、けテぶれについて深く学び、丁寧に実践を続けている先生方は、こうした丸投げの問題はすでに十分に理解されています。
だからこそ、深く理解しながら実践を続けている皆さんに向けて、別のことを言いたいのです。
聞いてくださっている皆さんへ:ぜひ、つながってください
けテぶれについてこれだけ深く考え、実践を続けている先生方の「理解の偏差値」は、職員室の中では非常に高い位置にあります。これは頭脳の話ではなく、希少性の話です。
希少であるということは、往々にして孤独であるということでもあります。自分なりの工夫をして、試行錯誤を重ねながら、「これで合っているのかな」という不安を抱えたまま実践を続けている。子どもたちに明らかな変化が出ていても、成果が見えにくい時期には深く不安になる。そのような状況で、誰かと語り合う機会がほとんどない——そういった先生方が全国に多くおられます。
だからこそ、今伝えたいことはシンプルです。ぜひ、つながってください。
個別最適と協働は大人の実践者にも当てはまる
個別最適な学びと協働的な学びというあの考え方は、子どもだけの話ではありません。大人の実践者にも、そのままぴったりと当てはまります。
けテぶれの実践は、それぞれの先生の教育観やクラスの状況に合わせて、必ず「その先生の色」が出るものです。本を丸ごと真似しているつもりでいても、よく見るとオリジナルの解釈が加わっていたり、自分なりの工夫が入っていたりします。それはすばらしいことです。
大きな目標は、子どもたちの自立であり、生きる力を育むことです。だからこそ、けテぶれという名前にこだわらなくていいほどのゆとりを持たせながら、各先生が自分のあり方に合わせて実践できる余白を意図的につくっています。
そして、それぞれの先生が個別最適に実践しているからこそ、違いがある実践者同士が集まったとき、互いの工夫は協働によって磨かれます。 子どもたちのけテぶれ交流会がやるかやらないかで全然違う——それとまったく同じことが、大人の実践者の間にも言えるのです。
全校・学年実践には「交流」と「現在地の承認」を設計に入れてください
全校でけテぶれに取り組んでいる学校で1年間走り切り、2年目に入ることができた先生に話を聞く機会がありました。どうやって成功できたのかを問うと、こんな答えが返ってきました。
「本当に素晴らしいと思った実践を取り上げて、インタビューして、職員室で広げていったんです。それを1年間ずっと続けました。」
先生の取り組みがフィードバックされ、その声が職員室に広がることで心理的安全性が生まれ、走り続けることができた。別の学校では、4月に全校実践を始めてから2ヶ月後の6月に「実践交流会」を設定するという設計を立てています。今どんな感じですか、どうやっていますかを話し合い、そこから次の一歩を探していく場を意図的に設けているのです。

全校・学年での取り組みには、こうした実践交流の場を必ず設計の中に入れてほしいと思います。よい実践を一方的に広めるだけでなく、先生方の間に「私の取り組みを見てもらえた」「フィードバックしてもらえた」という感覚が積み重なることで、実践は継続する力を持ちます。
「できていない」現在地も含み込んで認める
交流の場で大切にしたいのは、できていない・困っている現在地も含み込んで承認することです。
「全然できていないんです」という声も、全然ありとされる場の中ではじめて、心理的安全性が生まれます。できていない先生を排除したり、正しいやり方の押しつけになったりするのでは、誰も安心して参加できません。現在地を承認された上で、先進的に取り組んでいる先生の実践が共有されていく——そういう流れの中ではじめて、それぞれの先生が現在地から一歩踏み出せるようになります。
実践交流の場の目的は、格付けや評価ではなく、互いの現在地を認め合いながら次の一歩を一緒に探すことです。
熱は「半歩先の隣の人」から広がる
全校実践の最前線にいる先生の実践を見聞きしても、「自分とは遠すぎてわからない」と感じる先生は少なくありません。これは否定ではなく、熱の広がり方の自然な構造です。
めちゃくちゃ突っ走っている先生の言葉は、自分と距離が遠すぎると届かない。でも、自分のすぐ隣にいる「半歩先・半歩後ろの先生」の言葉なら、届く。
「なんかよくわからないけど、不安で——どう思う?」とぼんやり聞き合える相手がいる。その対話の中で「そっか、じゃあこういうところから始めてみたらいいかも」「そういう工夫したら変わるかもね」という次の一歩が生まれる。全校で取り組んでいる職員室には、様々な段階の先生がいます。それぞれの「半歩先・隣」との対話が生まれやすい環境が、熱の広がりの狙い目です。そこが強い。
遠い先進者から一方向に広がるのではなく、近い他者との対話から熱は広がっていきます。
自立した実践者として:各地でつながる

つながりの場を作ることについて、一つ強調しておきたいことがあります。
自主的にけテぶれの研究サークルを立ち上げているという声が届くことがあります。「もう半年やっていて」という話を突然聞かされることもある。地方での研修のあと、「茨城でけテぶれを実践しているなんて、自分だけだと思っていた。こんなにいるとは」と参加者がワクワクして帰り、LINEグループが生まれたり、地域のポータルサイトを立ち上げようという動きが起きたりすることもあります。
近くに同じ思いで実践している人を発見したとき、そのワクワクと安心感は本物です。そしてそれは、誰かの傘下に入るためでも、中央から許可を得てから動くためでもありません。
各地でそういう動きをしてくださることに、許可は一切不要です。会が盛り上がれば、呼んでいただければ行きます。一緒に授業・単元をデザインするワークショップも全力でやります。ただ、集まる先は葛原のもとではなく、互いのもとでいい。 各地で自立的につながることが、これからの形です。
子どもたちに学ぶ力が確実にあると信じているのと同じように、実践者の皆さんにも、自立して実践を育てていける力が必ずあります。けテぶれやQNKSという共通言語を持つことで対話は促進されますが、その言葉は互いを縛るためではなく、対話を豊かにするために使うものです。
おわりに:次のフェーズは「協働」
バタバタの4月を抜けて、少し落ち着いてきたこの時期に、立ち止まって考えてみてほしいことがあります。
あなたの近くに、けテぶれについて話せる同僚はいますか。学年を越えて、学校を越えて、「今どんな感じですか」と聞き合える相手はいますか。
もしいないなら、それ自体が一つの手を打つべきサインです。全校・学年で取り組んでいるなら、実践交流と現在地の承認を、意図的に設計の中に組み込んでください。学校の中でできるなら、学年会の場に少しずつ実践の話題を取り上げてみてください。学校を越えた場が必要なら、地域のサークルやオンラインのコミュニティという選択肢もあります。
個別最適に磨かれた実践は、つながりの中ではじめて協働として進化します。閉じた工夫を開いていくこと。孤立した実践をつながりに育てていくこと。それが今、けテぶれ実践においてもっとも必要な次の一歩です。