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けテぶれフェスin東京後半レポート:理論を現場で育てる4つの実践

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けテぶれフェスin東京の後半ポスター発表では、4名の実践者がそれぞれの現在地から、けテぶれ・QNKS・心マトリクスを現場でどう育てているかを語りました。

一つ目は、QNKSのNからKへの橋渡しを「矢印カード」という教具にした実践です。抽象的な基礎理論を、子どもが扱える学びのコントローラーへと具体化する姿がありました。

二つ目は、2年間の学年実践を通して、自己効力感・自己肯定感・心理的安全性が先に育ち、その後に学力結果が芽吹いた実践です。点数だけを追うのではなく、子どもの根本をへし折らずに学習力を育てる公教育の課題が見えてきます。

三つ目は、音楽専科の先生が道徳で心マトリクスを使った実践です。道徳と音楽が別々のものではなく、同じ価値を別角度から語る共通土台になっていく可能性が示されました。

四つ目は、けテぶれを始めて4ヶ月の先生による発表です。完成度の高さだけで発表の価値を決めるのではなく、自分の言葉で現在地を語ることそのものに意味がある。そこに、熱の広げ方の大切な形がありました。

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東京フェス後半の4名が見せたもの

けテぶれフェスin東京のポスター発表、後半は4名の発表でした。

今回の4つの実践をひとことでまとめるなら、理論を「受け取る」だけでなく、現場で「育てる」姿だったと言えます。

けテぶれ、QNKS、心マトリクスは、完成されたパッケージとしてただ現場に持ち込まれるものではありません。もちろん、理論としての骨格はあります。しかし、それが子どもの前に届くときには、先生ごとの学級、学年、教科、地域、そしてその先生自身の現在地を通ります。

そこでワークシートになったり、カードになったり、道徳の授業になったり、ポスター発表になったりします。

理論は、現場の先生が自分の言葉で語り、道具化し、共有することで育っていきます。

今回の後半発表には、その姿がとてもよく表れていました。

QNKSを「矢印カード」にするという教材化

最初の発表では、QNKSを深掘りした実践が紹介されました。

QNKSは、けテぶれと両輪になる大切な考え方です。一方で、現場で扱おうとすると難しさもあります。特に、NからKへと進むところ、つまり子どもが見つけたことをどう構造化し、次の学びにつなげるかという部分は、実践者の中でもたびたび話題になります。

今回の発表で印象的だったのは、その難しさに対して「矢印カード」という具体的な教具を作っていたことです。

事実と意見を使い分けるために、子どもたちに「矢印」という考え方を渡す。見つけた事実から、どのように考えを進めるのか。そのつながりを、頭の中だけでなく、カードという形で扱えるようにする。

これは、QNKSをそのまま言葉で説明するだけではありません。抽象的な理論を、子どもが触れることのできる道具にしているのです。

けテぶれとQNKS
けテぶれとQNKS

ここには、けテぶれ・QNKSを基礎理論として捉える見方があります。

基礎理論とは、ばらばらに見えていたものの関係を、一本筋を通して理解できるようにするものです。学習の中で何が起きているのか。子どもが何を見つけ、何を考え、どう次へ進むのか。それを整理するための理論が、けテぶれでありQNKSです。

ただし、理論だけでは子どもの手元に届きません。

そこから、ワークシートを作る人がいます。カードを作る人がいます。けテぶれシートのような形にする人がいます。こうした現場での開発があって、理論は子どもにとって扱いやすい学びのコントローラーになります。

基礎理論とグッズの発明は、別々ではなく両輪です。

理論を学ぶことは大切です。しかし、理論を現場で扱える形に具現化することもまた、分野全体を発展させる重要な営みです。

今回の矢印カードの実践は、まさにその一例でした。QNKSの難しさを、難しいままで終わらせない。子どもが扱える形にする。ほかの先生が受け取りやすい形にする。こうした教材化が、実践の広がりを支えていきます。

2年間で先に育ったもの、あとから芽吹いたもの

次の発表では、5年生から6年生までの2年間にわたる、けテぶれ・QNKS・心マトリクスの学年実践が紹介されました。

この実践で大切なのは、学力結果だけを切り取らないことです。

もちろん、最終的にはテストの点数も上がりました。学校現場では、点数や学力調査の結果が問われます。そこに対して結果が出たことは、実践の説得力にもなります。

しかし、この実践の本当に大事なところは、その前段階にあります。

1年目の時点で、生活調査アンケートにおける自己効力感や自己肯定感が大きく伸びていました。子どもたちが、自分でいいと思えること。自分にもできると思えること。教室の中に心理的安全性が育っていくこと。

その土台が先に育ち、2年目に学力として芽吹いてきたのです。

点数が上がったことだけが成果なのではありません。点数の前に、子どもの根本が育っていたことが重要です。

点数だけを上げる方法なら、ほかにもあるかもしれません。反復量を増やす。AIドリルを長時間やらせる。テストに出るところだけを徹底する。短期的には、それで数字が上がることもあるでしょう。

しかし、それで子どもは自立した学習者に近づいているのでしょうか。

今の公教育が抱えている課題は、点数が足りないことだけではありません。むしろ、点数を追うあまり、子どもたちの自己効力感や自己肯定感を削ってしまうことがあります。「このままではだめだ」「もっと頑張れ」「できないと困る」と、現状否定だけで子どもを動かそうとする。その結果、一時的には頑張れても、自分への信頼や将来への見通しが育たないことがあります。

努力を促すこと自体が悪いわけではありません。子どもに成長を願い、今より先へ進もうと伝えることは、教育の大切な働きです。

ただし、その伝え方を誤ると、子どもの根本をへし折ってしまいます。

今回の実践では、まず子どもたちの内側に「自分でいい」「自分にもできる」「ここで学んでいい」という感覚が育ちました。そのうえで、学力結果が後からついてきました。

これは、公教育のボトムアップ改革にとって、とても大きな意味を持ちます。

上から制度を変えるだけではなく、教室の中で子どもの学習力を育てる。点数という表面的な成果だけでなく、その奥にある自己効力感・自己肯定感・心理的安全性を育てる。そこから学力が芽吹いていく。

この順序を見失わないことが、実践を語るうえで重要です。

学年実践が公教育の問いにつながる

この2年間の実践は、一人の先生の教室内で完結するものではありませんでした。

学年で取り組み、また次の年度にも新たな先生と組みながら更新していく。そこには、個人実践を学年実践へ広げる動きがあります。

学年で共通の土台を持てると、子どもたちにとっても学びの見通しが変わります。先生によって言っていることがばらばらにならない。けテぶれやQNKS、心マトリクスという共通言語があることで、子どもたちは自分の学びを整理しやすくなります。

また、学年として実践が組まれることで、授業や学級経営のあり方も広がります。誰か一人の力量に依存しすぎず、学年全体で子どもを支えることができます。

ここに、公教育をアップグレードしていく具体的な姿があります。

制度の話だけではありません。現場の先生が、子どもの学びの質を落とさずに、学年として働き方や授業づくりを組み直していく。そこまで含めて、実践は公教育のボトムアップ改革につながっていきます。

音楽専科が道徳で心マトリクスを使う意味

三つ目の発表は、中学校の音楽の先生による道徳実践でした。

音楽専科の先生が、あえて道徳で心マトリクスを使った実践を発表する。ここに大きな意味があります。

心マトリクスは、道徳だけのための道具ではありません。もちろん、道徳の授業で価値を整理したり、子どもが自分の判断を見つめたりするうえで有効です。しかし、それだけに閉じるものではありません。

今回の実践では、道徳で扱ったことと、音楽で扱っていることがつながっていました。

音楽を教える。音楽で教える。音や表現の技能を高めるだけではなく、分からないことやできないことに向き合うこと。他者と共有しながら進んでいくこと。自分の感じ方や考え方を言葉にしていくこと。

そこには、教科を越えた学びの価値があります。

心マトリクス
心マトリクス

音楽そのものの技能は、もちろん大切です。音楽が好きな先生ほど、そのよさを子どもたちに伝えたいという思いを持っています。

一方で、音楽の力は技能だけに閉じません。分からないものに出会う。できなかったことに向き合う。仲間と表現を重ねる。自分の感じたことを言葉にする。こうした経験には、人生を支える栄養があります。

その抽象度で見ると、道徳と音楽は別々ではありません。

道徳で語った価値が、音楽の授業でも生きる。音楽で経験したことが、道徳で扱う生き方の話につながる。同じ価値、同じ目標、同じ世界を、別の角度から語ることができる。

心マトリクスは、そのための共通土台になります。

教科を越えて同じ価値を語れることは、子どもを自立した学習者へ育てるうえで大きな意味があります。

教科分担と働き方改革を、学びの質とトレードオフにしない

この話は、教科分担や働き方改革の話にもつながります。

先生の働き方を見直すことは大切です。先生に余裕がなければ、よい教育を続けることは難しくなります。教科担任制や分担の工夫も、現場に必要な設計です。

ただし、それが子どもの学びの質とトレードオフになってはいけません。

先生が入れ替わるたびに、語られる価値や学び方がばらばらになる。ある時間ではこう言われ、別の時間ではまったく違う方向を向く。子どもたちが、その中で自分の学びを整理できなくなる。

それでは、子どもファーストとは言えません。

働き方改革も、子どもの学びの質も、どちらも大切です。だからこそ、共通言語が必要になります。けテぶれ、QNKS、心マトリクスのような土台があることで、先生が変わっても、教科が変わっても、子どもに届く価値をつなぐことができます。

葛原学習研究所のミッションが目指しているのは、単に先生の負担を減らすことだけではありません。子どもの学びの質を脅かさずに、公教育をよりよく組み直していくことです。

そのためには、制度だけでなく、現場で語れる共通言語が必要です。

今回の音楽専科による道徳実践は、その可能性を具体的に示していました。

始めて4ヶ月でも語る価値がある

四つ目の発表は、けテぶれを始めて4ヶ月の先生によるものでした。

この発表がとても大切なのは、完成された実践だけがフェスで語られるわけではないということを示していた点です。

けテぶれフェスという場は、ともすると「経験豊富な実践者が集まる場」と見られることがあります。もちろん、長く実践してきた先生の発表には深みがあります。何年も積み上げてきたからこそ語れることがあります。

しかし、それだけでは熱は広がりません。

始めて4ヶ月の先生が、自分の現在地から語る。何を試したのか。何に迷ったのか。どこに手応えがあったのか。自分の言葉で語る。

そこに、大きな価値があります。

発表の意味は、完成度だけでは決まりません。あなたがあなたの表現で語ることそのものに、実践を育てる力があります。

もちろん、始めて4ヶ月だから内容が浅いという話ではありません。実際には、もともと持っていた実践があり、そこにけテぶれという整理と言葉が入ったことで、これまでの取り組みが共通の土台に乗っていく姿がありました。

これは、多くの先生に起こりうることです。

すでに子どもを信じて、任せて、認める実践をしている。子どもの振り返りを大切にしている。フィードバックを工夫している。子ども同士が学びを共有できるようにしている。

ただ、それが個人の感覚や経験の中にとどまっていることがあります。

そこに、けテぶれという言葉が入る。QNKSという整理が入る。心マトリクスという共通土台が入る。すると、自分の実践を他者に語りやすくなります。子どもとも共有しやすくなります。学年や学校へ広げやすくなります。

これが、共通言語を持つことの意味です。

現在地の違いがあるから、場に熱が生まれる

けテぶれフェスのよさは、100歩目の人だけがいることではありません。

1歩目の人がいます。2歩目、3歩目の人がいます。10歩目の人も、100歩目の人もいます。現在地の違う実践者が、同じ場にいること自体に意味があります。

その中で、始めたばかりの人も安心して発表できる。長く実践してきた人も、自分の積み上げを語れる。聞いている人は、自分に近い現在地の発表から勇気をもらい、少し先を歩く人の発表から見通しをもらう。

これが、熱の広げ方です。

上級者だけの閉じた場では、熱は広がりにくくなります。逆に、初心者だけの場でも、先の見通しが持ちにくくなることがあります。

大切なのは、多様な現在地が同居していることです。

そして、それぞれの人が自分の言葉で語れることです。語りは、単なる報告ではありません。自分が何を見て、何を大切にし、どこで迷い、どう進もうとしているのかを表す行為です。

その語りが場に出ることで、別の実践者が受け取ります。自分の教室で試してみようと思います。そこからまた新しい工夫が生まれます。理論が現場で育つとは、こういうことです。

理論は個人の完成品ではなく、共有されて育つ

今回の4つの発表を通して見えてくるのは、理論と実践の関係です。

QNKSを矢印カードにした実践では、基礎理論が子どもの手元に届く形へと教材化されていました。

2年間の学年実践では、自己効力感・自己肯定感・心理的安全性が先に育ち、その後に学力として芽吹く順序が示されました。

音楽専科による道徳実践では、心マトリクスが教科を越えて価値をつなぐ共通土台になることが見えてきました。

始めて4ヶ月の実践発表では、現在地から語ることそのものが、熱を広げる文化になることが示されました。

どれも、完成された成功談としてだけ読むべきものではありません。

むしろ大切なのは、それぞれの先生が自分の現在地で理論を受け取り、試し、道具にし、語り、共有していたことです。

けテぶれも、QNKSも、心マトリクスも、一人の完成品として閉じるものではありません。現場の先生が使い、迷い、工夫し、発表し、また別の先生が受け取る。その繰り返しの中で、分野全体が育っていきます。

次の地域へつながる熱

東京フェスのポスター発表は、前半・後半を通して大きな盛り上がりを見せました。

その熱は、東京だけで終わるものではありません。次は北陸、石川県金沢市でのけテぶれ交流会へとつながっていきます。

地域には、まだ見えていない実践者がいます。すでに教室で試している先生がいます。言葉にできていないけれど、けテぶれやQNKS、心マトリクスとつながる実践をしている先生がいます。

そうした先生たちが集まり、自分の現在地を語る。1歩目の人も、10歩目の人も、100歩目の人も同じ場にいる。そこから地域の熱が育っていく。

これが、公教育のボトムアップ改革の具体的な姿です。

理論を学ぶ。教室で試す。道具にする。語る。共有する。別の人が受け取り、また自分の現場で育てる。

けテぶれフェスin東京後半の4つの発表は、その循環をとてもよく表していました。実践の価値は完成度だけで決まりません。それぞれの現在地から語り、試し、共有することが、理論を現場で育て、子どもたちの学習力を公教育の中で育てていく力になります。

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