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一人の実践からみんなの革命へ――けテぶれを広げる場のつくり方

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オールけテぶれフェスタに込めた意図を、体育実践家との対談を通じて語った回です。オンラインでは見えにくい実践者同士の存在をリアルな場で可視化し、けテぶれ・QNKS・心マトリクスという共通言語で安心して語り合える環境を整えること。そして個人の教室内実践から、学年・学校・研修設計という組織レベルへと視点を引き上げること。聞きっぱなしにせず、発表・対話・交流によって参加者自身が学びの主体になる場の設計思想が、具体的に語られています。

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オンラインでは見えない「実践者の存在」を、リアルで可視化する

葛原学習研究所のミッションは、基本的にオンラインを軸として展開されています。SNSやVoicyを通じて全国に情報が届いている一方で、「オンラインではちょいちょい見るけれど、現実では見ない」という現象が起こりがちです。自分の校内でけテぶれに取り組んでいる教師が一人だけという状況は、思った以上に心細いものです。

オールけテぶれフェスタの出発点は、その「一人ではない」という感覚をリアルな場で届けることにあります。

以前、ある県全体の研修でけテぶれを扱った際、「自分だけがやっていると思っていたのに、こんなにいたんだ」という反応が多くの参加者から返ってきました。日常の職員室では見えにくい仲間の存在が、同じ場に集まることで一気に可視化される。その体験が生むワクワクこそが、フェスタを続ける根幹にある動機です。

だから席の配置も、できるだけ地域が近い参加者同士が隣り合うよう工夫しています。イベントが終わったあとも関係が続くような構図を、最初から意識した設計です。ひとまず「自分だけじゃない、この方向で合っている」と感じて帰ってもらえる場を目指しています。

共通言語があるから、深く話せる

リアルに集まる場の強みは、「何も説明しなくても伝わる」ことです。

けテぶれ・QNKS・心マトリクス。この三つが共通言語として通じる場では、初対面の参加者同士でも前置きなしにフルスピードで語り合えます。職場や地域では「これって何ですか?」という説明から始めなければならない場面がほとんどですが、フェスタの場では全員が同じ言語を持っている。それだけで、語り合いの深さが格段に変わります。

けテぶれとQNKSの両輪
けテぶれとQNKSの両輪

QNKSとは、問い(Question)・抜き出し(Nukidashi)・組み立て(Kumitate)・整理(Seiri)という四つのステップで思考を形式化していく枠組みです。けテぶれが「やってみる⇆考える」の往還を日々の学習に落とし込む実践であるとすれば、QNKSはその「考える」側を支える思考ツールです。そして心マトリクスは、自分の内側と外側の関係を地図として可視化するフレームです。この三つが一体となって、子どもたちの学びだけでなく、教師自身の実践設計にも応用されていきます。

「リアルに集まって共通言語で語れるって、でかいですよね」という言葉に、その実感がよく表れています。文字では伝わりにくいトーンや熱量が、同じ言語を持つ人同士の対話では自然に伝わっていく。だからこそ、オンラインで繋がっていた人たちが一度でもリアルで会うと、その後のオンラインでの交流の質も変わっていくのです。

今年のテーマは「組織レベルの実践」

昨年のフェスタでは、低学年・高学年・中学校といった「一人の担任による実践」にスポットを当てた全体発表の構成でした。それに対して今年は、全体発表者として「組織の実践者」三名に登壇していただく設計にしています。

具体的には、学年主任として学年全体で取り組む実践、研修担当として学校全体で展開する研修設計、そして校長として学校にけテぶれを導入した実践という三つの視点です。個人の担任として教室でけテぶれを回すことと、組織の立場からそれを広げることは、見えなければならないものも、引き受けるプレッシャーも異なります。その「上のレイヤー」の実体験を直接聞ける機会はなかなかありません。

自分が学年主任になったとき、研修担当になったとき、どう立ち回ればいいのか。いま一人で実践している先生でも、いずれその立場になっていく可能性がある。そのロールモデルを、実践の最前線にいる人たちの生の言葉として届けることが、今年のフェスタの核心です。

発表が終わったあとも、登壇者はフロアにいます。研修設計で困っている方が直接話しかけられる時間も、意図的に確保しています。「こういうことに悩んでいます」という声を、実際に経験した人に届けられる場は、それだけで来た価値があります。

聞きっぱなしにしない設計

参加者を「お客さん」で終わらせないために、場の設計そのものを変えています。

午前の全体発表は4本ありますが、4本すべてを連続して聞かせる形にはしていません。2本が終わった段階で一度フロアに時間を返し、参加者同士が話し合う時間を25分ほどとっています。全体発表、フロアセッション、全体発表という流れで、インプットとアウトプットの往還が生まれます。これはまさに、けテぶれの「やってみる⇆考える」の構造が研修の場そのものに実装されている姿です。

午後のポスター発表も同様です。昨年は発表者も聴衆も頭から火が出るほどの密度でしたが、今年は余白を意図的に設けています。ポスター発表が終わったあと、発表者にゆっくり話しかけてもいい。自分の席に戻って整理してもいいし、周りの参加者と語り合ってもいい。何をするかを参加者が選べる、自由な時間として確保しています。

「場に来て、お客さんで終わらない経験」を先生自身にしてもらいたい。その思いが、このデザインの根底にあります。習得→活用→探究という学びの構造が、先生の実践においても同じように作動する。聞くだけではなく語る、発表する、問いを持って帰るという経験が、次の実践への大サイクルを動かしていきます。

リアルだからこそ語れること

SNSでは「うまくいかなかった話」はなかなか出てきません。子どもたちへの影響を考えれば当然のことで、失敗や苦労をオープンにすることへのためらいは誰にでもあります。

だからこそ、リアルに集まる場の価値があります。

登壇者のひとりは、研修設計に長期にわたって取り組んできた方です。現在は実践が大きく前進した状態ですが、その裏に何年にもわたるブラックホールのような時期があったと話しています。心マトリクスで言えば、キラキラした星の世界に至るまでの道のりには、スーパーブラックホールの気配が続いていたと。そういう「本当に3時間ぐらい喋れる」苦労話は、SNSの投稿では伝わりません。

苦しさを経てきた人の言葉は、今まさに苦しい状況にいる人の現在地を確かめる地図になります。「自分もそういう時期があってよいのだ」という安心は、論理的な説明では届かない場所に届くものです。うまくいった話だけでなく、万般ではないリアルな姿を見せてくれる人がいるという期待が、参加者を集める力の一つになっています。

まだ踏み出せない人への後押し

フェスタは、熱量高くバリバリ実践している人だけに向けた場ではありません。

「興味はあるけれどまだ踏み出せていない」という現在地にいる人こそ、来てほしいという思いが強くあります。本を読んで、音声を聞いて、必要感はある。やらなければという気持ちもある。でも、なかなか実際の一歩が踏み出せない。そういう状態の人が、圧倒的な熱量を持つ実践者たちの場に身を置くことで、何かが変わることがあります。

過去の参加者の中には、迷いながら参加した後、下半期の実践を通じて不登校傾向のあった子どもが学校に来るようになったという方もいました。「論理の範囲」を超えたところで何かが動く。それがリアルな場の力です。

また、SNSを通じた情報発信がリーチできない層もいます。日々の実践の中でけテぶれを探究しているけれど、オンラインで情報を取ることが少ない先生方も、リアルなつながりの中で参加できる場であってほしい。「葛原学習研究所のミッションが届かない層まで」という言葉に、そのスタンスが込められています。「お誘い合わせの上」という呼びかけが、SNS的ではない形での広がりを作っていきます。

ポスター発表が「主体」をつくる

ポスター発表は、参加者を受け身の聴衆から実践の語り手へと変える装置として機能します。

体育実践を専門とするある参加者は、前回のポスター発表の後、会場で声をかけられ、その後のやり取りの中で相談を受け取り、「やってみたらうまくいきました」という報告が何件も届いたと話していました。発表者として語ることで、自分の考えに汎用性があることを確認できる。問いに答えることで、自分自身の整理も進む。それは、習得→活用→探究という学習の構造が、先生の実践においても同じように作動することを示しています。

先生もまた、主体的な学びの中にいる学習者です。場に来て、ただ聞いて帰るだけの「お客さん」として終わるのではなく、語り、問われ、応答することで現在地が変わっていく。その経験をポスター発表が担っています。

発表枠は早々に埋まってしまいましたが、後日のオンラインで参加者限定の発表機会を設けることも予定されています。リアルの熱をその場限りにせず、実践をアウトプットしたい人にさらに場を開いていく。この「後続の場の設計」もまた、大サイクルを回すための仕掛けのひとつです。

翻案されてこそ、広がる

個別最適な学びが実現していくとき、子どもたちの実践がそれぞれの彩りを帯びていくように、先生たちの実践もまた個別な形を持ちます。

学びのコントローラーとしてのけテぶれ・QNKS・心マトリクス
学びのコントローラーとしてのけテぶれ・QNKS・心マトリクス

体育を専門とするある教師は、けテぶれの構造を自分の教科に翻案し、独自の実践名で展開しています。「けテぶれ」という名前は使っていないけれど、その根底にある「やってみる⇆考える」の往還はそのままです。それに対して「それでいいんだよ、本当に」という言葉が返ってくる。この一言に、フェスタの場の空気が凝縮されています。

名前が違っても、構造が共鳴していれば、それはけテぶれです。

QNKS・心マトリクスも同様です。それぞれの教室・教科・学校の文脈に合わせて形を変えながら、根底の発想が実践を支えている。その多様性が、一日の会場に集まることで一望できる。全員が違うことをやっているけれど、全員がけテぶれ・QNKSを回している——そういう光景を楽しいと感じられる人にとって、フェスタはまさにその場になります。やっていること、呼び方、見せ方は違う。でも向いている方向は同じ。それが、協働的な学びの本質とも重なっています。

一人の実践が、みんなの革命へ

「一人の実践からみんなの革命へ」というテーマには、二つの意味が込められています。

一つは、個人の教室実践が学年・学校・地域へと広がる、組織レベルの変革のこと。もう一つは、その場に来た一人ひとりが、すでに「革命の中心のメインエンジン」として機能しているという認識です。

夏休みに時間をつくって、交通費を払って、それだけの熱量を持ってくる人たちが集まる場。そこに集う実践者たちが語り合い、互いの現在地を確かめ、組織への広げ方を学ぶことで、教室の革命は一人の力を超えていきます。先行実践に触れることで「不可能じゃない」という感覚が生まれる。それはブレーキを外す力になります。フェスタという場が体現しているのは、そういう熱の広げ方そのものです。

公教育をボトムアップで変えていく。その歩みは、一人の教室から始まり、語りを通じて学年へ、研修へ、学校全体へ、そして地域へと広がっていきます。その連鎖の起点になる場が、フェスタに込められた最も大きな希望です。

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