2024年夏の研修ラッシュを振り返りながら、けテぶれ・QNKS・心マトリクスを共通土台とした実践者コミュニティが、中央からの管理なしに自律的に広がり始めていることが語られます。講演の場でも、発信者が参加者を操作的に巻き込むのではなく、情報を「虚空に投げる」スタイルを意識的に選んでいること、一方向の講演が対話的な場へと変わる必要性も感じていることが正直に語られます。大規模イベント「研修のデザイン2024」では、多様な実践が同じ土台の上に並ぶポスター発表の景色が象徴的なシーンとして現れました。
夏の研修ラッシュのなかで
この夏、全国各地をまわる研修ラッシュをようやく抜けました。人生で一番の総移動距離だったかもしれません。顔を合わせて同じ空間で過ごすことの充実感はたしかにありながら、同時に「研修の構造にはもっとやりようがある」という感触も残りました。
対面研修の価値は否定したくありません。ただ、それが一方向の講演になったとき、ある問いが浮かびます。「それならVoicyでいいのでは?」
スピーカーから声が出るか、自分の声帯から声が出るかという違いだけになってしまうなら、わざわざ集まる意味が問われます。だからこそ、グループワークを中心に据えて対話が生まれる場をつくり、発信者も参加者のひとりとして加わる研修の構造へ変えていきたいという問題意識が育っています。自分の教室の雰囲気に近づけていきたい、というのが正直なところです。
「虚空に投げる」という語り方
研修や講演の場で心がけていることがあります。それは、情報の受け取り方を参加者に委ねることです。
参加者の目を見て語りかける、一人ひとりに問いかける——そういった講演スキルを意識的に使わないようにしています。理由は、その動作が「受け取らざるを得ない状況」を強化してしまうからです。前に立っている人と、座って聞く立場という構造だけでもすでに非対称な関係性があります。そこにさらに目を合わせて語りかけてしまうと、参加者が情報を主体的に選び取る前に、圧に飲まれるように受け取ってしまいかねない。
教室でも、深く熱を入れて語るときは子どもたちの目を見ないようにしていました。頭の上に情報を「投げる」という感覚です。「それをどう受け取るかは君たち次第だよ」という距離感で出す。喜ばせる・巻き込む演出はしない。シンプルな情報提供として、参加者の虚空に投げる——それが、主体性を奪わない語りのかたちだと考えています。
一方向の講演がVoicyと同じ性質になりやすいのも、この考え方から来ています。講演スキルそのものへの否定ではなく、「参加者が主体性を持って情報を咀嚼し、自分で選び取ってほしい」という願いが、その演出を選ばせない。だからこそ、参加者が対話できる構造の研修へと変えていきたいという問題意識が生まれています。
許可なく動き出す実践者たち
「信じて、任せて、認める」という言葉があります。今夏、それが実際の動きとして現れていました。
あるメンバーが、依頼も相談もなしに「QNKS(問い・抜き出し・組み立て・整理)の入門講座をやります」と言って動き始めました。「今日こんなことやっていいですか?」というやり取りをしたことも、許可を求められたことも一度もありません。そのメンバーがニーズを感じ、自分がそれに応えられると判断し、動き出した。それだけです。
別のメンバーは、長期間にわたって実践をシェアしながら現在地を共有していく伴走型の場を、複数期にわたって担い手を変えながら受け継いでいます。「これこそが本当の教師のバトンだ」という言葉が印象に残っています。バトンを受け渡すように、場を中心となって回す役割を担おうとする人が現れ続けている。その状況が生まれていることが、何よりうれしいと感じています。

大きな告知をして参加者を集めるような「熱の広げ方」ではなく、クローズドな関係性の中で、ニーズが生まれたら思いついた人が思いついた場を立ち上げていく。そのエネルギーが今、各所で現れては消え、また現れてという形で続いています。
この状態は、中心がどこにあるか分からないまま自律的に動いている組織の姿に近いものです。構造化してしまうと「何かを始めるたびに事務局に相談して承認を得る」という手続きが生まれ、速度が落ちます。「疑い、管理し、否定する」気配が漂い始めると、場の密度と熱量が薄まっていく——その感覚が、今の自律分散的なあり方を肯定する根拠になっています。思いついた時に思いついたことができる余白が、コミュニティの速度と熱量を保っています。
研修のデザイン2024——潜在していた熱の可視化
2024年8月9日、ウィンク愛知で「研修のデザイン2024」を開催しました。会場の規模と集客については、最初は50人か100人規模で始める計画でした。
ところが、先行でサロンプラス会員に募集をかけた段階でかなりの席が埋まり、全体告知に踏み切ると即完売状態に。50席を追加して150席に広げましたが、その席も瞬殺で埋まりました。キャンセルが出れば即座に別の参加者が埋めていく状態が、開催直前まで続きました。
「ここまでの熱量が埋蔵されていたのか」と、本当に驚きました。
これは単なる集客の成功ではありません。表には出てきていなかったけれど、けテぶれ・QNKS・心マトリクスを土台にした実践者コミュニティの熱が、潜在的にずっとそこにあったことを意味しています。研修のデザイン2024は、その熱を可視化した場になりました。
「全員違うことやってるけど、全員同じことやってる」
会場に入ったとき、壁一面に多種多様なポスターが貼られていました。
参加者がそれぞれの実践をポスターにして持ち寄り、学会のポスター発表のように共有する形式です。同じような取り組みはひとつもない。本当にいろんな方が、いろんな実践をポスターとして並べている。それが最初に目に入ったとき、「すごいな」という感覚が来ました。

それでも、全部けテぶれ・QNKS・心マトリクスという大きな土台の上に乗った実践です。多様であることと、同じ土台を共有していることが同時に成り立っている——「全員違うことやってるけど、全員同じことやってる」という感覚。自分が作ってきた学びの世界が、こうやって実現されているんだという深い感銘がありました。
葛原学習研究所のミッションが機能しているとすれば、それはひとりの発信者から情報が広まることではなく、各地の実践者がそれぞれの現場でこの土台を使いながら自分なりの実践を生み出していることに現れています。公教育をボトムアップで変えていく動きは、管理された中心からではなく、こういった多様な現場の実践の積み重ねから立ち上がります。
ポスター発表の会場では、「頭がパンクするから一旦自分の席で整理する」と判断してノートをとり始める参加者もいました。それはそれで素晴らしい主体性の現れだと感じました。用意されたプログラムを受動的に消費するのではなく、自分のペースと必要に合わせて動く。場の質がそれを自然に引き出していました。
熱狂の後のゆるさが、場の健全さを示す
イベントが終わり、スタッフで宿に集まりました。「アイス買いに行こう」「銭湯どうする」「眠いから寝る」——まるで普通の日常に戻ってきただけのような空気が流れていました。
「俺らやったったぜ」でも「一石投じてやったぜ」でもなく、ただ終わった後のゆるやかな時間がある。「ゆるゆるアツい」とでも言うべき空気で、それがむしろ、この場の健全さを示しているように感じました。
熱狂と日常性が同居していること。イベント後にドッと燃え尽きるのではなく、ゆるさに戻ってまた動き出せる状態がある。それが、長く続く学びのコミュニティの地力なのかもしれません。
思想は管理からではなく、任せることから広がる
今夏の経験を通じて改めて見えてきたことがあります。
思想や実践は、中心から整理整頓して広げようとするより、信じて任せた実践者がそれぞれの現在地から動き出すことで、豊かな熱を帯びて広がっていく。管理の圧が低ければ低いほど、速度と熱量と多様性が生まれる——けテぶれコミュニティは今、そのことを体現しています。
講演の場でも同じ原理が働いています。発信者が参加者に「どう受け取るかはあなた次第」と委ねるとき、参加者は主体として立ちます。場を演出的に巻き込もうとするとき、参加者は観客に変わります。語りの構造と、コミュニティの構造は、同じ問いを共有しています。
「疑い、管理し、否定する」か、「信じて、任せて、認める」か。その選択が、場に立ち現れる熱と多様性の質を決めていきます。研修のデザイン2024は、その問いへのひとつの答えとして記憶されています。